死の認識と葬儀の発生
佐倉 朔(札幌学院大学)



 今ご紹介に預かりました佐倉です。ずっと人類学をやっておりますが、特に古い時代の人骨を調べまして、時代的変化、人類の系統はどうなっているのか、どのように進化してきたのか、骨とか歯とか古い時代の残された人体の部分を研究してきたわけであります。今日は死というものにつきまして、私が年来調べてまいりました昔の人間はどうであったか、それから日ごろ考えております専門からはちょっと外れるんですけれども、死とか死に伴う葬儀というものが人間にとってどういうものであるのかということをお話してまいります。

 はじめに結論的に申し上げますと、死というものについて非常に明確な認識を持っているのは動物の中でも人間だけであると言えるということ。それからもう一つは、死というものを認識することによって葬儀というきわめて人間らしい儀式が風習として行われる、この二つであります。

 一体葬儀というものが人類の進化の上でいつ頃から発生してきたのか、その前提としてまず同種の仲間に対する動物の生の認識、仲間が生きているという認識をまずいろいろな動物を比較してざっと考察してみたいと思います。

 動物というのは行動を持っている。いろいろな行動の目的があるわけですが、大きく分けますと、栄養行動――物を食べる摂食のための行動、種族を維持するための繁殖行動――生殖に関する行動、それからもう一つ非常に重要なのは逃避行動といって危険から逃れるための行動ですね。その他にもいろいろありますが、一番重要なのは動物界全般を通してこの3つが挙げられるわけです。

 このようなタイプの行動の中で、私が「関係行動」という名前で一括できるんではないかと思う行動のグループがあります。これは何かといいますと同種の他の個体を認識する、そういう認識をすることによって個体間の関係を維持する。それを「関係行動」と呼んだらいいのではないかと思うわけです。動物によりますと一匹だけで生活していて他の個体は関係ないというものもあるかと思いますが、少なくとも有性生殖をするものでは必ず雌雄の間の何らかの関係が起こるわけです。それは同種の異性、オスだと相手がメスである、メスだと相手がオスである、こういう認識が不可欠です。ですから関係行動を持たない動物というのは存在しない。個体が一人ぼっちで生活しているようなものは存在しない。それが関係行動、同種の他の個体を生きていると認識している、そういう生の認識の上に立った関係行動です。

 動物の種によっていろいろな認識の方法があるかと思います。これは動物が下等であるか高等であるかを問わず一般的に見られることです。ちょっと例を申し上げますと、まず虫の中に昆虫という割合高等なものがありまして、ここにはかなり社会生活の発達したアリだとかハチだとかいわゆる社会性昆虫といわれるものも含まれているわけです。ファーブルという昆虫学者が詳しく述べている昆虫の中にギョウレツムシというのがあります。これは蛾の幼虫で毛虫なんですが、生まれたときからたくさん固まっておりまして木の上で行列を成して行動しているわけですが、一匹だけでは行動しない。必ず大勢のギョウレツムシが群れをなして一緒に行動しているわけです。必ず一緒にいる仲間を認識しているわけです。どうやって認識しているのかはちょっと問題ですが、何らかの方法で認識しているのは明らかです。先ほど言ったアリやハチなどの社会性昆虫も必ずこれは認識しており結びつきを持っていて、社会というものを構成しています。もっと高等な動物、我々と同じ哺乳類ももちろん他の個体に対する認識の上に立って関係行動を行う。

 そこで、もし仲間の個体が死ぬとどうなるか?多くの動物、例えば虫の場合死んだ個体が生じますと関係行動がとれなくなる。何かサインを出しても反応しないというような状態になりますと、全く生きていない物体として取り扱うように見えます。もうほったらかしで何もしない。中にはまだ生きているのにもう邪魔な個体は捨ててしまう、どこかへ持っていって放り出すというような虫もあります。例を挙げますとアリの仲間でハキリアリというのがいます。これは大きな葉っぱを切り取って巣の中に運び、それをうまく発酵させることにより生えるカビとかキノコなどの菌類をエサとしているアリです。大勢のアリが一生懸命働いているのですが、年を取って段々体が弱ってやがて死ぬわけです。段々動かなくなってまともに働けなくなった個体はアリの生活にとって邪魔になる。そうすると、まだ動いて生きているにもかかわらず容赦なく引っ張り出して巣の外へと捨てるわけですね。まだ生きていても単なる物体として扱う。それからミツバチ、最も多いのは働きバチという種類でその中に女王バチが一匹おります。新しく生まれた女王バチがいるとしますと、それが最初にオスと交尾をしてそれから生殖に取りかかるわけです。そのために巣の中には少数のオスバチを生かしてあります。新しい女王バチが生まれますとそのオスと一度交尾をしなきゃならないんですが、その時にオスも一緒に空高く舞い上がって空中で交尾をして帰ってくる。そして女王バチは巣の中に落ち着くんですが、その後のオスバチは無用の長物、一度だけ交尾をすればお役御免であります。働きバチがオスバチを巣の外に放り出して邪険に捨ててしまう。まだ生きているのにそういうふうにあたかも死んだように扱う。そういう行動が虫の中には見られるわけです。

 次第に生物が進化して、脊椎動物のなかで最も進化した哺乳類が生まれてくると、同種の個体の協力関係を必ず保つようになります。どうやって同種であるかを認識しているのかは動物によって様々です。例えばイヌは人間がいろいろな目的のために品種を改良して、現在非常に多種多様なイヌが存在しています。大きさ、形、毛の色などあらゆる点できわめて異なっておりまして、大きいものでは2メートルもあるような犬もいますし、日本の土佐犬もウシとケンカをさせるために大きくした品種でかなり図体がでかいです。小さいのでは昔から日本で飼われているチンという犬がいますが、最も小さいのでは今ではチワワなんていう犬がいて、昔コーヒーカップに乗っている写真を見たことがあります。ブルドッグもずいぶん大きいものがありまして、かつてはブル(bull)つまり雄ウシと闘わせる闘牛がイギリスで流行りまして、そのためにますます大きなブルドッグが作られました。ブルドッグの顔つきがちょっと変わっていて下顎が突き出しているのは、雄ウシのに鼻面に下から食らいつくための形だといいます。ところがギャンブルなどがイギリスで流行りまして、いろいろと弊害が出てきますと闘牛が禁止されました。そうするとブルドッグの本来の役割がなくなったわけで、今度は愛玩用に改良して段々小さいものが作られるようになりました。昔みたいに雄ウシと闘うでっかいのはなくなり、現在のブルドッグは愛玩用に小さくなっています。まあこのように色・形・体の大きさ・性質が千差万別で、我々がちょっと見て同じイヌという種類であるのか分からないというほど大きな違いです。ところがイヌ自身はそうではないんです。どんなに姿形が違うイヌであっても、出会った瞬間に同種のイヌであると認識していて、ネコ・キツネなどと出会ったときとは態度が違う。どうやって見分けているかは分かりませんが、本能的にすぐさま認識しています。おそらくイヌは嗅覚が非常に発達しているので、イヌ独特の臭いを本来持っていてそれで嗅ぎ分けているのではないかと思います。

 我々は霊長類というサルと同じグループです。霊長類というのは地上の哺乳動物のように嗅覚の発達は良くない。その代わりに目がいい。いろんなものを認識するのに、視覚、目で見るという感覚に頼るということがよくあります。

 サルは同種の個体が死んだときにどうするのか。その前に一般の哺乳類では仲間が死んだときにどうするのかといいますと、大体は人間ほどは死んだということにそれほど関心がないようです。しかし、親子などの特別密接な関係のある個体の場合はちょっと違っています。例えばゾウなどで母子連れがいたとして、子ゾウがなにかの要因で死んだとしますと、母親は長時間、長い場合だと二日も付き添っている例が報告されています。やはり子供が死んだということをすぐには認められないという状況があるかと思います。子供が生きているときには密接な関係があったので、それを断ち切りがたいという状況に置かれていたのではないかと思います。しかし、いよいよ二日ぐらいたって子供がいつまでも動かないということになると、やっとあきらめてそこを立ち去る。哺乳類ぐらいになると、特別な関係にあった個体が死ぬとしばらくは余韻が残って執着心が捨てきれない。そういうように見える状況が起こってきます。哺乳類は精神機能、学習能力・知能、そういったものが発達してきて、それと他の個体に対する関係行動が影響を受けているのではないか、と考えられるわけです。

 それではヒト以外のサルはどうか。これは今モンキーセンターの所長をやっておられる岩本さんから前に教わったことですが、ニホンザルの母子で子供が死んで動かない。そうすると母親は子供がまだ生きているときと同じようにずっと抱いたままでいるそうです。子供の死骸は日が経つにつれてだんだんと腐ってきて、とうとう体のいろんな部分がもげてきて、形からいってもうサルとは見えなくなる。そこまで母親は子ザルを抱きしめて共にいるわけです。それで形のなくなる頃にやっとその遺体を捨てるわけです。形がなくなって初めてサルじゃなくなったんだと分かるという感じです。生きているのと死んでいるのとはいろいろな情報からしてはっきりと判断できるわけで、死んだものをいつまでも抱きしめていても仕方がないと人間は考えるのですが、サルは決してそうではない。やっぱりそういう生きている間の親子の関係、これは愛情といってもいいんですが、それを死んでも持ち続けているということでしょう。そのようないろいろな事例から考えまして、どうも同種の他の個体が死んだという認識、死の認識、これを明確な形で持っているのはやはり人間だけといっても過言ではないだろうと思うわけです。

 ヒトは、霊長類の中でも特にいろいろな個体関係が密接に発達していて、複雑な社会を営んでいます。一人ぼっちで一生を送るという人は殆どいないわけで、生きている間はいろいろな人、まず親子、それから夫婦、親族、隣人、こういう多くの人と様々な関係を結びながら人の世を全うしているわけです。他の人に対する感情的な結びつき、これは大きく言って愛情・愛着といっていいと思いますが、そういうものがヒトにおいて大きく発達している。それでもし自分と関係のあった人が死にますと、生きている間のそういう愛情関係があまりにも密接であって、そういう愛情行動が常に心の中に生じているので、いきなりそういう対象がなくなってちょっと戸惑いを感じるというのは普通であろうかと思います。つまり人が死んで、ああそうかといって切り捨てるようなことはなかなかできない。まだその死んだ人についての想いが続いている。ある場合には死んだということをなかなか認めたがらない。実際死ぬところを見ている少数の人は別ですが、間接的に聞いた人はまず、まさかという想いが必ず走る。遠くのほうで死んだ人だと、ほんとに死んだのだと認めたくない、間違いではないか、まだ生きているのではないかと思う。これが人間独特の感情、人情であろうかと思います。そういうような例は我々もよく目にしていると思います。

 たとえば、戦争末期に大陸に置き去りにされましたいわゆる残留孤児、そういう者の肉親捜しなどが時々新聞を賑わしております。そういう可能性のある人が中国その他の大陸からやってきて肉親を捜します。そうしますと肉親の可能性のある人が名乗り出て、本当にこれは血縁であるのかと鑑定をするわけです。私もそういう鑑定に何度も関与いたしました。その時に感じたことの一つは、肉親の可能性が残された人がどうかそうであってほしいということです。自分の大陸に残した子供なりの親族にずっと何十年も音沙汰がない。そういった者は縁が薄くなって、もうこれは死んだと思って諦めるという方が実際的かという感じがしますが、実際はそうではなく、いつまでたってもあの子は生きていると思っていて、そういう人が訪ねてきたときにこれは自分の子であってほしいという感じが根本にあります。それで一生懸命に対応をする。つまり関係がある人に死んだということを認めたがらないという感情が起こる、これはやむを得ないことであるかと思います。

 私事になりますが、家内の親族が太平洋戦争のミッドウェイ海戦の時に蒼龍の機関長をやっておりまして船と一緒に沈んだんですが、残されたその人の奥さんが今でもミッドウェイに行ってみたい、夫が死んだ海に行きたいとこう言うんです。行ったって生き返るわけではない。だけども夫が死んだところに行きたい。これはどういうことか。つい数年前に大韓航空の旅客機がアメリカから韓国にいくのにコースを間違えてソ連の上空を飛んでサハリン沖で撃墜されました。残された遺族がどうしたかというとわざわざ船に乗ってその親族の撃墜されたサハリンの海の側まで行って、そこで花束を海に投げて泣き叫んだ。つまり自分の親しい人が死んだということをなるべく実感したい、実感しないと信じられない、こういう一般的な感情が人間にはあるわけです。

 人が生きているのか死んでいるのか、はっきりけじめをつける必要が人間には起こってくる。これは非常に重要なことです。死んでしまった人を生きているかのように見なして生活するというのは非常に不都合が多いわけです。死んだ人は死んだということを認めてそれから後の前提とした行動に切り替えていかなくてはいけないのですが、それがなかなかできにくいというのが人間としての特徴であります。これがやはり生前の人間関係の緊密さというのをよくあらわしている。まさにそのためにこそ、親しい人が死んだと言うことを納得するための手続きとして葬儀というのは生まれた、そう考えるのが妥当かと思っているわけであります。

 葬儀も人が死んだ後の処理のやり方というのがいろいろあります。民族によって、死体を海に沈めるとか、粉にしてバラバラにばらまくとか、山のほうに持っていって鳥が来て食べて死体を消滅させるのもありますし、あるいは一定の場所、墓地のような場所に持っていって安置するとか、いろいろなやり方があります。しかし、世界中で最も普遍的に行われている葬儀は、遺体の埋葬という行為を含んでいるわけです。日本でももちろん埋葬は一般的で、そして最終的にはお墓に葬る。これが普遍的な方法であろうかと思います。ただその時に墓をどこに掘るか、これがまた非常に問題であります。一般的に言いますと、非常に親しい人の遺体を埋める墓は自分の住んでいるすぐ側に設けたい。これが日本人の場合は非常に多い。

 我々は縄文遺跡を発掘してますが、縄文時代にはもう既に墓地というのが発生しておりまして、遺体を墓域にまとめて埋葬するという風習がありました。例外的にごく若い赤ん坊、つまり出生前後ですね。ほんとに生きて生まれたのか分からない、死産か流産かもしれない、それから新生児死亡というものかも分かりませんが、骨から見て出生前後のごく若い赤ん坊の骨だけは別であります。これは甕なんかに葬って自分の住んでいる住居の床下に埋める。これはやはりそれを産んだ母親にしてみれば実に密接な想いがするわけで、遠くに持っていくのはかわいそうだという感情が起こるためであろうかと思うわけです。遺体を遠くにもっていかない、なるべく近くに葬りたいというのは普遍的な感情であろうかと思います。

 関西のことは私は存じませんが、関東ではお墓が二つあるのが伝統的です。初めは自分の住んでいる家の敷地の中にあるお墓に埋め、これをウチンバカといいますが、何年か経ちますと掘り返して今度は外の少し離れた墓地に納める、これをソトンバカといいます。例えば古事記や日本書紀で天皇家の葬儀のところにしばしば出てくるのですが、初めはいきなり埋めない。モガリと称しまして遺体を長期間安置するわけです。一定の年月が経ってから改めて埋葬する。そういうことはごく一般的に行われていたようで、これは沖縄ではかなり最近まで残っておりました。沖縄のタマウズメという王朝時代の王家の墓所がありますが、その建物は二つに分かれていて一つはモガリ用でそのまま安置する場所であって、それからもう一つのほうに正式に遺体を収納するというふうに分かれております。沖縄では甕棺墓というのがあちこちで見られます。今はそういう風習はなくなりましたが、かつては遺体をまず埋め、七年経ってあらためて掘り出して水洗いして甕に納めて一定の場所に安置する。これは洞窟の中とか山蔭とかで、今でもたくさん見ることができます。人が死んですぐはなかなか感情が吹っ切れない。だいぶ年月が経ってからやっとだんだんと「ああ、あの人は死んだんだな」と益々痛切に確実に認識できるようになる。そういう気持ちの表れで、このような複雑な葬儀の形態を取るのではないかと思います。

 それでは、こういうように非常に人間的な明確な他人の死の認識と、それが前提となる葬儀、特に埋葬がヒトの進化の過程でどこから起こってきたのか。これを最後にお話したいと思います。人類の進化の中で一番古いのは猿人という段階で、これは相当長く続いて一番古いのは今は400万年くらい前から100万年前ぐらいの間に見つかる祖型人類です。これは主としてアフリカで発掘されております。その次に古いのが原人という段階でこれはアフリカ以外でもかなりあり、アジアでも北京原人とかジャワ原人とかがそれに当たりますが、これが100万年ぐらい前から30万年前で、その間に人類は形の上で非常に進化しています。まず脳が大きくなる、それから物を噛むための歯とか顎とかの器官が次第に退化してくる、これが非常に大きな二つの趨勢です。原人段階の次の段階が旧人で、最初にヨーロッパのネアンデルタールというところで発見されたので、ネアンデルタール人と呼ばれます。その次の現在生きている我々と同じ段階が新人という段階で、現在一番古い化石が3万5千年前ぐらい前ということになっています。

 このようにざっと人類進化の流れを通してみて、死んだ人をどう扱っていたかという観点から考察します。もし埋葬された骨ならば埋葬された状況がいくらか残ったままで骨が発見されるであろう。そういう意味で見てまいりますと、旧人段階、ネアンデルタール人の段階になりますと確実に人が埋葬されているという状況で人骨が発見されるという例は枚挙にいとまがない。旧人が遺体を埋葬したことはまず疑いがない。原人や猿人は仲間の人が死んだらどうやってその遺体を始末したのかということになると、残念ながらいまだかつて確実に原人猿人が遺体を埋葬したという証拠は一つもない。今のところ人類進化の段階では旧人にいたって始めて現代人並みの埋葬という風習が出現する。その前提となる死の明確な現代人並みの認識、これもまた旧人の段階で発生したのではないか。それには社会生活が最も重要になります。

 旧人の遺跡はたくさん発見され報告されておりますが、ごく一例だけ申し上げます。1961年に私も参加しておりました東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団の発掘したイスラエルのアムッド洞窟であります。谷の横の石灰岩の岩壁の谷の底から30メートルぐらい上がったところにポックリと穴がありまして、これがアムッド洞窟です。幸いにして行ったその年に殆ど完全なネアンデルタールの全身骨格一体分を発見することができました。

 このへんの地層を調べますと、完全にネアンデルタールの生活していた中期旧石器時代の遺物がこの地層の中に入っていたのが分かっています。遺骨の保存状況は周りの地層の証拠もあわせますと、遺体を故意に穴を掘って埋めて横たえたと考えざるを得ないわけです。埋葬されたものであると結論せざるを得ない。ずっと庇の前のほうに堆積の層が下がっておりますが、一番上が新しい層でこの下が古い中期旧石器時代の層で、まさにここに遺体が埋葬されていたわけです。あとまあ骨の欠片はいくつか、全部で四体ぐらい出てきています。

 西アジアでもイスラエルのマウントカルメルとか、その周辺のレバノン、イラクなどの遺跡が知られております。イラクのシャニダールという有名な遺跡は、アメリカ隊が調査したんですが、そうとう大掛かりな遺跡で骨だけでも、頭のちゃんとしてものでも四体残っているという重要な遺跡です。ネアンデルタール人の形の上の特徴で一番重要なことは、一番上の脳の入っている脳頭蓋の容積を推定してみますと現代人の平均と変わらない。個体差は随分ありますが、中央値を取ると現代人と変わらない。現代人のいろんな集団の成人男子の中央値の平均はだいたい1450立方センチメートルで、ネアンデルタール人はむしろそれより大き目のものが多かったので、かつてはネアンデルタールの頭は現代人よりも大きかったという考えもありました。その後小さ目のものもいくつも発見されまして、やっぱり中央値を取りますと現代人と大体同じと考えられるようになりました。現代人と違うのは目の上に眼窩上隆起といいまして、庇のように突き出した部分があるということ、それから顎の骨がしっかりしていて歯も現代人よりはいくらか大きい。それから下顎の前のオトガイというでっぱりが殆ど見られない。

 脳の大きさが現代人並みになっているということは、脳の機能の水準もまた現代人並みになっていると考えるのが最も妥当ではないかと思うわけであります。ただし、現代人と違って硬いものをよく食べていて、そのために顎もがっしりしていて歯も少し大きく、減り方も現代人よりよく減っている。この歯からの圧力を支える構造として上顎骨と眼窩の上が発達している、と考えられるわけです。

 ネアンデルタール人が最初に発掘されましたのは1866年、ドイツのネアンデルタールの谷であります。その後、フランスのラ・シャペローサンという洞窟からかなり完全な骨格が発見され、それを最初に調べたフランスのブールの結論はネアンデルタール人というのは洞穴の中に住んでいる非常に現代人と違った野蛮なのろまな人間である、というものでした。のろまというのは、膝の曲がり加減であるとか首もちょっと曲がって前のほうに傾いているとか、その他もいろんなことを挙げている。こういう根拠は間違いであったと現在は全部否定されております。しかし、このようにブールが初めにネアンデルタール人が現代人と系統の異なる野蛮な人類であると発表したもんですから、それがいろいろな進化論に反対するような一般に利用されたわけです。ネアンデルタール人が現代に子孫を残さずに絶滅したという考えは、いまだに世界中の学会に残っているわけです。

しかし、いろいろな発見されてきた科学的な証拠を突き合わせますと、そういう考えは根本的に間違えであると思います。ネアンデルタール人の石器は中期旧石器という石器の考古学的な編年の一部に相当します。この特徴は何かといいますと前期旧石器のほうは非常に大型のものを主体としたコア=ツールといいまして、石を余分なところを打ち欠いて芯のところを使うのが主体なんですけれども、中期旧石器になりますと剥がした部分、これをフレイク、薄片といいますが、この薄片をまたさまざまに工夫していろんな二次的な加工を縁に施す。いわゆるtriangular point(三角尖頭器)や、多種多様の石器が非常に発達してきます。これはネアンデルタールの時代の文化のレベルを表していて、生活が非常に多様化したということと結びついて考えられるわけです。中期旧石器とその後のクロマニョンなどの新人の持っていた後期旧石器文化というものは当初は全く急激に入れ替わったという見方がされていて、それがブールのネアンデルタールが絶滅したという考えに結びついていたわけですが、こういう石器をヨーロッパで研究している先史学の大家であるボルドーはその後の詳細な調査の結果、中期旧石器と後期旧石器は連続していると明確に述べているわけです。それでネアンデルタール人が絶滅したという根拠はなくなっていると考えられるわけです。

 リーバーマンはネアンデルタール人全滅説の側に立っておりまして、これを言語の起源という本の中で主張しています。その根拠は、舌と口腔からなる発生器官で喉頭から咽頭にいたる空間的スペースがネアンデルタール人では足りない。だからこういう人類は現代人並みの巧みな発音は不可能であると言っているわけであります。もうだいぶ前になりますが、葉山杉夫さんを班長として研究班が組織され、私がやったのは化石人類の声道の復元でした。まさにこういうような化石人類の周りの骨の状況から、現代人のような優れた発声ができると考えられるような声道が復元できるかということをやったわけです。ラ・シャペローサン人の首の骨を見たら分かるように、頚椎という首の部分を作っている背骨が結びついている椎体と椎体の隙間が全然ない。実際は背骨と背骨の間は必ず椎間板が入っておりまして、隙間が空いていて伸びているわけですが、複原図にはそういうものは全然描いていない。これはずいぶんおかしなことで、私はこれにしかるべく椎間板を入れて引き伸ばしたら、人間らしい言語を発声するに十分な可能なスペースがあるということを論じたわけです。

 その他にも例がありまして、その決定的な証拠はネアンデルタール人の舌骨が発見されたということです。舌骨というのは、下顎の後ろの下の方にあって、我々でもちょっと触ってみると分かるものです。舌骨はたくさんのところと筋肉で結び付けられていて、いろいろな筋肉が言語を使用するときに役に立つ機能を持っている。人間は高等な言語を持っている。類人猿は生物学的系統では人類に非常に近いんですが、それでも言語は持たない。これは発声器官のスペースの問題もありますが、舌骨の形態に極めて大きく左右されているわけです。いくら人類に近いゴリラ・チンパンジーのような類人猿であっても、人間の舌骨の形と全く違うわけです。したがって、舌骨の形態は人間が言語を持っているということとおそらくは極めて密接な関係があるに違いないと思うわけです。舌骨というのはちょっとひん曲がった轡みたいな形をしているわけですが、人は平ぺったくて他の動物とは全く違っています。イスラエルのケパラという旧人の遺跡から、今まで知られていなかったネアンデルタール人の舌骨が極めて優秀な保存状態で発見された。この形は現代人のものとよく似ています。類人猿とは全く違う。こういうことからみてもネアンデルタール人が現代人にほぼ近いほどの繊細な言語を操っていたということが想像できるわけです。

 言語の問題に限らず、旧石器の薄片からも先ほどちょっと申しましたように彼らの生活水準というのが窺える。もう一つは彼らの遺跡から出てくる、彼らが狩猟をして食べたという動物です。旧人の段階になりますと、彼らが狩猟をして食べた動物の種類が変わってきます。彼らが一番たくさん取っているのはシカとかカモシカで、このようなものは原人段階ではあまり出てこない。シカやカモシカはご存知のように草食動物で極めて警戒心の強い逃げ足の速い動物で、小人数の狩猟ではなかなか捕まえることができない。ところがネアンデルタール人はこのような動物を大量に捕まえて食料にしていた。これは彼らの狩猟活動というのが相当多人数の共同活動で出来上がっていたということの間接的な証拠になるかと思います。

 それからさらに葬儀に直接関係のあることを言いますと、イラクのシャニダール遺跡で遺体のまわりの土を花粉分析にかけたところ、これが全部きれいな花の咲く種類の花粉だった。植物の花粉というのはまわりの殻が非常に化学的に安定なものですから長時間残るわけで、それを顕微鏡で見ますとその植物の種類まで判定することが出来るわけです。それらの植物は今でもあの辺り一帯には見ることができるわけですが、遺体のあった遺跡の周辺の土には花粉はない、七種類ぐらいのきれいな花の咲く種の花粉ばかりが遺体の周りに集中しているわけです。これはネアンデルタール人が遺体を埋葬したと同時に、その葬儀に当たって遺体にきれいな花をささげたということの何よりの証拠であります。ソレッキーという人がこれを称して「The First Flower People」という本を書いているということをご紹介しておきます。

 シャニダールには萎縮してしまって片手の先がない人がいましたが、その人は40歳ぐらいの年齢で死んでいる。片手がないということは日常生活が非常に不便で、特に当時の採集狩猟文化の中では食料を得る上でまともに働くことの出来ない個体がいたことを示している。これは男性でありますが、この人が当時としては長寿のほうである40まで生きるということが可能であったということは、そのような身体障害があってまともな生活能力のない人間でも、周りの人間に支えられて生きていたということを強力に物語っているわけです。こういったことからも、ネアンデルタールの社会の成り立ちというものを推察することが出来るわけです。

 いろいろ申し上げましたが、ようするに旧人の段階にいたって人類はきわめて人間らしい生活の水準に達していた。脳の大きさはもとより、いろんな生活の痕跡から見て、今日からみてもヒューマンともいえる人間らしい状態に達していたということが結論づけられるわけです。そういうことが彼らが進化の過程で初めて葬儀、遺体を埋葬するということと無関係ではないと私は思っているわけであります。

 以上、時間もずいぶん経ちましたのでこれで終わりたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。





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