骨から見たホミニドの出産の進化史
中務 真人(京都大・理・自然人類)



 ヒトの出産をなぜわざわざ取り上げるかといえば、それが大変な作業だからであろう。出産時の介助が見られる霊長類はヒトだけである。にもかかわらず世界の平均で10万人の子供が生まれるときに320人の妊婦が死ぬらしい。自然淘汰から見れば、生物にとって適応度を下げるものは淘汰されるはずだが、ヒトでは難産が解消されていない。それは、分娩する女性にとって出産が大変な作業でも、それによって得られる利得(大脳化)が種全体の適応度を増加させていることを意味している。

 ところで、出産が困難な霊長類はヒトだけかというと、そうではないようである。Schultzによれば、マカクの新生児の頭部は雌の骨盤の入り口のサイズにほぼ等しい。南米のサルでは、さらに極端な種もいる。頭部骨盤の不一致は現代人だけが持つ問題でもないようである。

 出産に関連する骨盤の特徴を見るには性差を見ればよい。遠目にも後ろ姿を見れば、まず男女を間違うことがない。女性の方が幅広く丸いお尻をしている。骨盤で見ると、寛骨臼間の幅が広い。骨盤は分界線より上部の大骨盤と、下部の小骨盤に区別される。出産に関わる問題は小骨盤の大きさである。骨盤を底の方から見ると、男女の違いは歴然とする。骨盤下口と呼ぶが、産道の出口が女性では大きい。ところで、ヒトの産道は部位ごとに横断形状が顕著に異なる。骨盤上口では左右径が前後径よりも長い。一方、左右の坐骨棘と恥骨下角を含む骨盤腔中部では坐骨棘の間よりも恥骨結合と仙骨の間の方が長い。骨盤下口でも同様である。

 現代人の分娩では、胎児が産道を通過するときに、顔の向きが側方向きから後方向きへ回転する。こうしたタイプの回旋を伴う分娩は、霊長類の中でヒトでしか見られない。この理由は産道と胎児の形状の関係による。胎児の頭は前後に長いため、骨盤上口では横を向くことになる。しかし、骨盤中部から産道の前後径が左右径よりも大きくなるため、胎児の頭は前後方向を向く。頭の最大幅は頭頂骨後部の間にあるが、産道は前部の方が広いため、それにフィットして後頭部は前(腹側)に位置するようになる。さらに、ヒトの胸郭は前後に平たい樽型で肩関節が側方につきだした形状をしている。そのため、他の霊長類と異なり、頭とは反対に胸郭上部の左右幅が前後長より大きい。胸郭が骨盤下口を通過するときにはさらに回転が必要である。しかも、ヒトでは仙骨岬角と仙骨の弯曲、比較的腹側に位置する生殖器のため、矢状面においては産道がS字のカーブを描く。これに対して、チンパンジーや他の霊長類では産道はどのレベルでも前後径が左右径よりも大きい。特に坐骨棘の発達が弱い。また、仙骨が高い位置にあり、側面から見た産道はストレートで、ヒトのようにカーブしない。

 こうした違いは、骨盤が二足性へ適応して形態変化したことと関係している。二足性はヒト科の特徴とされているが、では二足性を獲得した化石ホミノイドは現代人と同じようにお産に苦しんでいたのだろうか?お産の難しさ、容易さを推定するには少なくとも骨盤と新生児の頭の大きさを推定できるだけの材料が必要であるが、こうした資料は非常に少ない。アウストラロピテクス・アファレンシスは約400から290万年前、東アフリカに棲息していた化石人類である。320万年前の年代から発見された1個体分の骨格、通称ルーシーは化石ホミニドの中でも最も保存のよい骨格の一つである。アファレンシス猿人の体格、脳容量は、比較的小型の亜種チンパンジーとほとんど同じである。そのため、アファレンシスの胎児がチンパンジー並のサイズで生まれたと仮定して、これまでその出産が議論されてきた。TagueとLovejoyはルーシーの骨盤を復元して、産道のサイズを推定した。ルーシーの骨盤の特殊な点は左右に著しく広いことである。どの骨盤平面も横方向に長い。従って、顔が側方を向いた状態で骨盤に入り、そのまま頭部の回旋は起こらず産道を通過したようである。産道の前後長が短いためチンパンジー程度の大きさの頭でも、出産は困難で、仙腸関節などの弛緩も必要だったろうが、頭部が前後(産道に対して)に片向けば通過できただろうと結論している。また、アファレンシス猿人の胸郭はチンパンジー的に前後が長い漏斗型なので頭部が産道を通過してからの体の回転も無かったはずである。こうしたアファレンシス猿人の出産はチンパンジーとも現代人とも異なる。

 ところで、現代人は出産の制約から二次的な晩成性(運動能力が未熟な新生児が生まれる)が発達したと考えられている。こうした特徴は、猿人にはあったのだろうか。脳容量との関係で考えれば、チンパンジーサイズの新生児を産むことができたなら、二次的晩成性は必要なかったはずである。出産は楽ではなかったのだから、頭の大きさが小さい方がよかったのはそうだろうが、二次的晩成性は母親の負担の増大につながるし、頭蓋骨の縫合が未発達であることを必要とすれば(生後の急激な脳の成長をゆるすため)、それは咀嚼能力の低さ(=咀嚼筋のストレスに対する強度の低さ)を許容しなければならない。それらを考えると、少々の難産でも、チンパンジー新生仔程度に成熟した子どもを出産していたように考えられる。

 ホモ・エレクタスの分娩については、WalkerとRuffが、150万年前のエレクタス少年の全身骨格(通称トゥルカナボーイ)をもとに推定を行っている。現代人における、成長比、性差を仮定して、エレクタス成人女性の骨盤のサイズを推定した。それに対して、出産可能な最大の頭の大きさを脳のサイズで200-240gと導いている。これがエレクタス成人の脳容量945gに達するには、二次的晩成性を伴う、現代的な脳の成長パターンが必要であるというのが彼らの結論である。
 
 Ruffはさらに、エレクタスの骨盤の形自体が現代人と異なっているのではないかと考えている。初期のエレクタスの大腿骨は横方向への曲げ強さが非常に大きい。猿人の値も高いがそれも超える。彼は、その原因として、寛骨臼の間の幅が広かったのではないかと推測している。骨盤上口の形を断片的な資料から推定すると、エレクタスの雌の骨盤上口の扁平性は、ルーシーよりは弱いもののかなり強かったらしい。彼は、初期のエレクタス段階までは猿人的分娩が続いていたと推測している。初期のエレクタスまでは、骨盤上口の幅を大きくしながら大脳化に対応したが、ロコモーション効率と体温制御が負のフィードバックをかけるようになり、それ以上の拡大は不可能になった。しかし、胎児が回旋して生まれるようになるなら、左右径を変えないで、骨盤下口の前後径を大きくすることでさらに、大脳化が可能になる。こうした進化が起きたのは脳容量1000ccを超えるエレクタスが現れるようになった、100万年前以降ではないかというのが彼の推測である。
 
 一方、胎児が回旋する分娩が行われるようになったため、母親の顔の向きが誕生する新生児の顔の向きと逆を向くようになり、自分自身で取り上げることが困難になった。そのため他者による出産の介助が必要なったのではないかとRosenberg,とTrevathanは推測している。




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