交渉される非行少年の「過去」-ある更生保護施設でのフィールドワークから考える-
松嶋 秀明(滋賀県立大学人間文化学部)



■問題と目的
 三つ子の魂、百までという言葉がある。角川国語辞典によれば、それは「幼いときの性質はおとなになっても変わらない」というものである。この言葉は、臨床心理学、発達心理学においては子育ての重要性をのべたものとされることが多かった。少年の過去における養育経験のまずさが、青年期にある少年の不適応と結びついているというわけだ。

 実際、非行化に、過去の養育経験が与える影響についての研究は多くある。菅原ら(1999)は、過去10年以上にわたる縦断研究から、externalizingな問題行動に、母親、父親の養育態度がどのように影響しているのかを明らかにしている。虐待と、少年の非行化との関係もまた昨今注目されている。松田ら(2001)は、全国的に鑑別所や少年院に入所中の少年を対象にして、過去における虐待経験との関係をさぐっている。我々の実感としても、過去に不幸な体験をしてきた少年が非行化することは理解しやすい。

 しかしながら、<いまーここ>の実践現場においてはどのような意味があるのだろうか。過去をやりなおすことは不可能であるから、過去に何らかのダメージがあったことを知ったところで、もはやとりかえしがつかないと考えることもできる。我々の生活が、過去によってゆるやかに影響されているとしても、現在、何とか少年を更生にみちびこうとする我々にとって、<いまーここ>の場面でつかうことのできる「過去」でなければ、それは有用な知識とはならないだろう。そこで今回の発表では、実践現場において、「過去」はいかに意味のあるものとなるのかを記述してみたい。

 発表者は、これまで一貫して非行少年の更生過程に興味をもち、過去数年間にわたって、少年の更生を支援する施設(更生保護施設という)でフィールドワークを行い、そこでおこなわれている実践を参与観察してきた。今回は、この観察から得られたデータに基づいて上述の問題について考えてみたい。

■方法
 ある更生保護施設におけるSSTの模様を録音したテープが中心的なデータとなった。なかでも今回は観察初期におけるセッションにおける2つの課題,すなわち「職場で挨拶をすること」(以後,「挨拶」)と,「仲間の悪い誘いを断ること」(以後,「断る」)をとりあげて比較した。両者は少年が有している既有知識の量や,意味づけが異なっていると考えられ,両者を比較することでSSTでの相互行為の特徴が良くあらわされると考えられた。このほかに,各セッションの観察記録,インフォーマルな指導者の語りの記録なども補助的なデータとした。以上のようなデータをもとにして、SSTにおける相互作用のなかで,笑いや会話のズレなど,会話が円滑にすすまなくなったと判断される場面に注目して,そこで指導者がもとめていたこと,あるいは少年たちが目指していたものは何だったのかを検討した。

 
■結果と考察
 「挨拶」課題では,指導者のやろうとすること(社会にでてうまくやっていくための形式的な方法の教育)と,少年たちがやろうとすること(彼らが実際の社会にでてやっていることの再現)に食い違いがみられた。しかし,少年たちの発言は一方的にその場に相応しくないものとされていた。そのため,SST自体は円滑にすすんでいるように見えたが,少年は自分の問題としてSSTの課題をとらえにくいように思われた。

 一方「断る」課題では,少年たちは豊富な経験をもとに発言し,指導者はこれをうまくまとめることができなかった。また,SSTの実施にたずさわる1人の指導者からは,この課題が少年の日常生活の不満の再現であり,それを吐き出すことは出来てもSSTの課題としてはふさわしくないと評価された。しかしながら,少年はこうした課題においては積極的に発言したり、指導者に質問したりした。これらはSSTの課題を自分自身がとりくむべき課題として認識していなければすることのできないと思われた。以上のようにSSTでは、少年たちの体験を聞かないことが、会話上のトラブルを、メンバーに「少年の失敗」として見せることにむすびついている。そこでは、少年がもつはずの「かけがえのない過去」は無化され、少年は単に「ソーシャルスキルのない人」となる。他方、「断る課題」にみられるように、SSTには、少年たちの体験がふいに聞かれることがある。そこでは会話上のトラブルは、少年の問題とは必ずしもみなされず、少年は「かけがえのない過去」をもつものとしてみえてくる。そして、そのことは少年を更生へと導くひとつの足がかりとなる可能性が示唆された。今後、さらなる探求がのぞまれるところである。

 
■付記
 本稿もその一部となっている著書『少年問題とつきあう心理学の視点(仮称)』が新曜社より来夏出版予定です。ご興味もたれた諸先生方は是非お読みください。





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