死の意味領域:文化,変化,進化
内堀基光(東京外国語大学AA研)



 本来であれば、人間の多様な文化・社会における葬送、葬式の多様な形態、あるいはあの世・他界、死後の生についての様々な表象などについてお話するのが、文化人類学的というか民族学的なお話だということになるのでしょうが、私はもうそれは飽きていますし、またそのようなことで死を語っていってもあまりもう意味はないなと思っております。

 と申しますのは、こうしたかたちでの死の研究はおそらく今世紀の初頭、フランスのデュルケーム門下の社会学者であったロベール・エルツという人の『死の集団表象に関する研究』である面ではもう片がついてしまっている。1960年代から80年代にかけて、デュルケームの秀才門下生の一人としてのエルツの再評価がイギリス人類学会で始まりました。それとの関連でアフリカあるいは東南アジアにおける葬式の研究を始めたり、エルツ風な立場から再分析をしたというのがたくさん出ております。

 このことは、非常に不思議なことですが、死についてある程度人文社会科学的な真面目な論考が出てから、60年間もほとんど進歩していないということを表しているに過ぎない、ということですね。60年後に英語に訳されて、それでイギリスやアメリカの文化人類学者たちが「ああ、これはすごい」と思うということは、いかにイギリス人やアメリカ人がそれまでろくに物を考えてなかったかのかということを表しているに過ぎない。で、まあその当時はともかくとしてですね、こんにちエルツからさして離れないような死の、葬儀の構造分析であるとか、儀礼過程の分析であるとか言ったところで「ああそうですか」で終わってしまうような話になると思うんで、今日はそれとちょっと外れた話をいたします。

 人間が死ということを問題にするとき、二つの迫り方がある。ひとつは彼の死、あるいは彼女の死、誰かあの人の死というのと、もうひとつはわたしの死、自分の死、からの迫り方です。この二つの死というのは、基本的に同じ「死」といってますけれども、人間の生き方の中で、あるいは人間の社会生活の中でといってもいいでしょうけれども、大変違う位置づけを持ったものであると思います。「他者の死」というのは、先ほど佐倉先生がお話しになった方向性で基本的に問題がないと思います。たとえば、人に対する愛着、そうした愛着・愛惜等々から出てくるものです。ですが現代において特に先鋭的になっているのは、やはり「自己の死」であろうと思います。もちろん「他者の死」と「自己の死」というのは共にお互いを先鋭化する形で両方とも出てきてはいるのですが。

 「他者の死」あるいは愛する者の死というのは基本的には残された者の問題である。なかなかうまい日本語がないんですが、――英語だと“bereavement”ですんでしまうんですが――、日本語だと死別状態といいますか、生き残った状態ということですね。それに伴う特有の心理的な何かトラウマであるとかあるいはメランコリーであるとかそうしたもの、それにどう対処するかという問題です。それに対して「自己の死」といったもの、まだそこには無いものに、どうして人間がこれほどこだわらなくてはならないのか。これを考えるには「他者の死」とはまったく別の見方をしていかなければならない。といったことは、ベッカーという人が『死の否定』のなかで述べています。彼はそこで、死に対する幸せな見方と不幸な見方という言い方をしていたと思います。つまり、ベッカーに言わせると、死というものを「自己の死」の問題ではなく「他者の死」だけで論じられる、つまりそれに対する遺族のあり方としてだけ論じられるという人は、大変幸せないい人である。が、ベッカーを含む現代人というのはそれほどいい人でも幸せな人でもないので、自分の死を考えなきゃいけない、というわけです。

 基本的にはそうした分け方を正しいと思っています。この20年以上つかず離れずで死の問題に関わってきたわけですけれども、その間、私自身のあり方は「わたしの死」派から「あの人の死」派に変わりました。一番大事なのは「他者の死」であって「わたしの死」ではない、というふうに変わってきたんです。というのも、ちっちゃい頃から少し大きくなった若い頃までの私というのは、大変死が恐かったんですね。いつもドキドキドキドキして「いつ死ぬんだろうか」と怖がっていたようです。二十歳を過ぎて飛行機に初めて乗ってからも、常に自分が今どこを飛んでいるのか、地図を広げて見ていなくちゃけなかった……それはどうしてかというと、今もし飛行機が落ちたら私はまさにこの場所で死ぬんだ、と納得したいということなんです。それだけ自分の死というか可能な死というものに拘泥していたわけなんですが、おそらく40歳を過ぎてから、特に革命的な変化があったわけではないし身の回りに特に何があったわけではないんですけれども、なんとなくそれは馬鹿なことである、自分の死に拘泥するのは大変馬鹿だと――お坊さんを前にしてこういうのはすごく失礼なんですが――ある意味でなんか悟っちゃったんですね。それで、あんまり自分の死が恐くなくなった。ああいつ死んでもいいや……と。ただ、死んで問題があるとすれば、残された者に対する公的な問題とか経済的な問題、そういう自分が生きていたことに由来する名残の問題、この片付けをどうするかという現実的な問題に死を置き換えて語れる(というか思える)ようになった。それと同時に死について書くのをやめてしまった。書くものというと百科事典の葬式の項目くらい。水葬であるとか、火葬であるとか、甕棺葬であるとか、伸展葬であるとか、鳥葬というのもありましたね……それから先ほど佐倉先生のおっしゃった遺体を何度か埋めかえすという多回葬あるいは多段階葬、複葬、洗骨。そういう百科事典項目ばかりに関わってしまって、ようやく最近になってもう一度まともに取り組もうかと思うようになりました。レジュメにある4つのテーマ(@死の文化的構成、A死者という存在、B記憶と忘却、Cわたしの死へ)は、これからの仕事の大筋です。

【死の文化的構成】前置きが長くなりました。「死」というものを考えるときに、確かに人間というのは死の認知の上で他の動物とは違う。私は以前は死の一元論のようなものを考えていて、歴史も経済も何もかも死ということから、あるいは死というものを軸として考えることができる、人間と動物を分けるものは死であり、そして人間の文化は死についての一定の――文化ごとにかたちの異なる――解答をなしているのだというふうに考えておりました。フランスのモランが『人間と死』という本を書いています。モランは人間と人間以外の動物との敷居としての死ということを言っています。また死の認知からすべての文化が発生しているということも書いています。それでモランには諸手を挙げて賛成していたんですが、近ごろは少し考えを変えました。どうもそうではなさそうだと。

 死というのは文化の非常に根源的な核の中に位置づけられはするけれども、死から文化が出てくるというようなドラスティックな、ある意味でカッコイイことはないのではないか。文化というのはもっと様々な、例えば道具を作るだとか、他に狩猟でも採集でもいいですけれど、これは食えるこれは食えんといった経験知識……等々の雑多な、まさに日常生活そのままの寄せ集めであって、その中でだんだん「死」というのが醸成されてくる。それはまさしくだんだん醸成されるのであって、例えばネアンデルタール人段階ではじめて埋葬の発生が実証的に認められるにせよ、そこで一挙に死の意識が発生したとは思えない。旧人段階での葬儀の発生をもって死の意識が劇的に変化したかどうかは、私は大変に怪しいと思っております。

 人が死んだという時に一番大事なことは死んだ後もその人について語り続けられること、覚えていること……つまり記憶です。記憶のなかで死者は単に過去に生きていた人というだけの存在であってもよい。しかし死者が記憶されていることのさらなる帰結は、「死」者の発生です。生きている者とちがう何者か。しかもちょっとした逆転で独立したエージェントにもなり得るような、つまり生きている人間と同じように動けると簡単に思い込めるような――幽霊でも亡霊でも死霊でも何でもいいんですけど――何者か。まずはそのように死後も、ある者について「有る者」であるように語れるということが大事なんです。それは必ずしも葬儀等々の目に見える形式は要しないであろう。

 葬儀というのは、死体の処理という側面と、さまざまな生きていく人間の相互行為としての儀礼という面と、2つあるわけですけれども、他の儀礼と比べて非常に意図性のはっきりしている。儀礼における目的というのが行為者にとって意識されているという点で他の儀礼とは違うとは思います。しかし、死者が死者として残されている限り、すでに人間的な「死」というものが発生している。死者が死者としてありさえすれば、単なる語りの対象としてあるだけでいいのです。それから更に「死者があの世で……」という語りがされるときには、いかなるものであれ、死者だけの共同体というものになる。つまり、死者の国、他界、あの世というものが表象されてくる。その意味では他界表象というのはたいしたことではなく、死者そのものの表象に比べれば派生的なことだと思います。それからはじまって、もちろん葬式、儀礼、死体の処理等々はさらに2次的な複合。人間というのは、生きている間、基本的には物理的物体としてそこにあるのであって、それがそうでなくなるというのはこれははっきり分かることですから、ほっといたって腐敗してなくなっていく。死体処理の問題は、それを人為的に早めに処理する、自然過程をどういう形でか促進することで、たしかに基本的に人間的な行為ではあります。これらのすべてを含んだものとして「死」というものを考える。それを「死の意味領域」と呼ぶわけです。

 人間の死というのはほとんどこの「意味領域」の問題であって、実際には死そのもの、「死ぬこと」自体はほとんど問題ではない。「死ぬこと」は経験できませんが、人間は「死」をいろいろなしかたで経験できるわけです。歴史的に、あるいは文字・言語・人とのコミュニケーションを通じて、あるいは一生の過程における体験の集積として「死」というのは出てくる。けれども「死ぬこと」自体というのは全く集積できない。「死の前に人は平等である」という言い方がありますが、これは本当にずるい言い方で、ここでいわれている「死」というのは「死ぬこと」なんですね。「死ぬこと」は無差異なものですけれども、「死」自体は大変に差異的なものです。文化と文化の間の差異は大きいし、またある社会においても死者の扱われ方は死者によって違い、死者の残した生者によっても違う。ですから「死」そのものは非常に差異的なものである。その点でも「死」と「死ぬこと」は非常に大きな違いがある。この二つを混同して語ると、なんか力が出てきて、なんとなく意味のあるような語りができるというわけです。

【死者という存在】先ほど述べた「他者の死」と「自らの死」という分け方でいきますと、レジュメのテーマAとBは基本的に「他者の死」に関わるものですが、Bあたりから少しずつズレが生じてきて「わたしの死」に繋がっていきます。先取りして言いますと、この「わたしの死」というのは普通の人間の長い人類史の過程においては問題にならなかったことでしょう。これを問題にするのはやはり社会的権力などの、生きている中における差異の肥大化だろうと思います。それは階級社会の発生といってもいいし権力の発生といってもいい。個人による他の個体への支配といってもいい。その中で「わたしの死」というものが出てくるのであろう。歴史的な諸宗教は基本的には「わたしの死」に関わってくる。キリスト教にしても仏教にしても、ちょっと違いますがイスラムも基本的にはそうですね。ようするに「おまえが死んだらどうなるか」という問いかけ、つまり「わたしの死」というものを考えさせるのが、歴史的な宗教の力である。悪い言い方をすれば、これは一種の詐術であって、その中で「死」というのは自分の死であると人々は思い込まされる。無階級社会つまり平衡性の高い社会においては問題は自分の死などではなく、愛着対象の死であると思います。

 ボルネオのイバンの人々を見ていてもそんなに自分の死というものを問題にしない。結構楽に「死」のことを話している。「もうじき私は死ぬんだ」「年を取ったからもうじきあの世へいくんだ」とか平気でいっています。イバンの普通に語るあの世はまったくこの世の延長です。もっともこの世よりちょっとはいい。すばらしい極楽じゃなくて、例えば農耕しなくても働かなくても食えるなんてほどすばらしくはなく、働くんだけどいつも豊作だとか、そのくらいのモデストな理想境ですが、基本的にはこの世と同じ。ですからあの世でも適当な時間が経てばもう一度死ぬ。そういうものとしての他界を普通に語っているのを聞いていると、こういう平坦な他界観というのが、おそらく人類史のかなり長い間の一般的なイメージだったのだろうと思います。おそらく、大変恐い地獄だとか大変良い天国だとか極楽というのは、人類史のなかではごくごく最近の、たかだか一万年もいかないような――歴史宗教の発生ということでいえばせいぜい3000年とか――新しいイメージであり、死の問題が一種の終末論として語られるような状態になってからのものでしょう。

 繰り返しになりますが、人間の文化・社会において大事な問題点は死者なるものの発生であり、人間社会は死者というものをイメージしている社会です。それは霊魂であってもいいし、それこそ位牌であってもいい。最近、バーチャル霊園ですか、パソコンの内部に霊園を持つというのが新聞に紹介されてましたが、位牌はまさに「バーチャル死者」なんです。基本的には死者そのものがすごくバーチャルなのであって、そうしたバーチャルなものをどういった形で見えるものにするか、あるいは見えなくても、例えば名前のようなまったく抽象的な表象でもいい、とにかく何か継続性らしきものを残すようにするか、というだけのことです。ちなみに、多くの社会で人間の名前は循環していくものである。そうした社会において名前に着目していくと、実際にはぐるぐる回っていく名前の一つとしてたまたま今その名前を持っている人がいるんで、また三世代か四世代後にはまたその名前を持った人が出てくる。その意味では名前なんてのはちっとも固有名詞ではない。さらに大袈裟にいうと、いったい個体というのは本当に個体なんだろうかとさえ問いうる――これは別に生まれ変わりとかそういう問題ではない。むしろ名前であるということ自体が個体としての人間そのものの表象である。そうなると、その個体が物理的に死ぬということはさほど重要な契機ではない。単なる変化の一環として、今は死んだ状態にあるというぐらいに思うことが可能である。こうしたさまざまな可能様態を持ちうる「死」のなかで、個体としての死者表象の集合として他界を――歴史的に発生するとはいいませんけども論理的には――考えることができる。先ほど言ったように他界というのはこの世の写しであることもあるし、なんか恐い恐い所でもありうるし、それこそ極楽浄土でもありうるし、いかようにでもなる。

 ただし、歴史宗教で歴然となってくる他界そのものを差異化、つまり他界を分化するという思想はどのような発生をもつか……これにはいくつか難しい問題が含まれていると思います。歴史宗教における罪の意識の強調――悪い人間はとにかく地獄、どんな意味でか良い人間は極楽に行ける――と結びついた他界観が、モラリティといいますか倫理的な発想からだけ出てきたのかどうかは分からない。一応そうだというのが定説ですけれど、実際には、アッサムの一部のナガ族のように「生きているときにたくさんの女性と交わった男は天国にいける、そうじゃない人間は試練に耐えなくちゃいけない」といった考えもある。つまり、その社会で男としてうまく成功していった人間はちょっと良いところへ行く。こういう形での差異化というのが出てきうるわけです。いわゆる世界宗教的な意味でのモラリティとは随分違う。プレスティージといってもいいですけれど、いずれにしても人間が生きているときにおける差異化が何らかの形で死んだ後にまでもちこすと考える。

【記憶と忘却】さて立ち返って、死者の発生の根源は、記憶、覚えているということでした。人を覚えていない限り、生きてる時だって愛着対象になんてなりようがありませんし、ましてや死んでからかなり長い間その人について懐かしく思ったり悲しく思ったりすることはない。懐かしみと悲しみ――その問題は、愛着対象がどれほど強く人間の基本的には成長段階で形成されていくかということであろうと思います。ジョン・ボウルビーという人が、精神分析的かつ進化主義的な傾向をもつ発達心理学の3部作を1960年代から70年代の終わりぐらいまでに書いています。最初の本が『Attachment』、愛着、二番目が『Separation』、別離、3番目が『Loss』、喪失です。ここでボールビーが言ってることは、特に最初の『Attachment』のところがわりと有名だったんですけど、ほとんどインプリンティングの話と同じで、3歳とか4歳とか一定の期間までに母親ないし母親代替物との愛着対象形成を為しえなかった人間は、成長後の心理、感情生活において大変難しいことが起こる。犯罪率が高いとか等々のことです。要するに3歳4歳までの段階で、いかに自分自身および自分にとって掛け替えのない万能幻想を受け入れてくれるような母親ないしは母親代替物がこの世の中にあると確信すること、それがこの世についての自信である。私が私であることを受け入れてくれること、それが人間がまともに大きくなっていき、その後の愛情関係を築く上で大事なんだといってるわけです。だからこそ、それが無くなったときの喪失感というのは大きい。その喪失感の中から悲嘆、悲しみと怒りというものが出てくる。

 最近、といってももう20年前のことですが、夫婦の文化人類学者で奥さんのほうが亡くなったロサルド夫妻というのがいるんですけど、奥さんがフィリピンで調査中に亡くなった後、御亭主のほうが死についての論文を書きました。彼はそこで、今まで人類学者が死について、異文化の死について書いてきたことの多くは間違いである、自分の妻を失ってはじめて、愛する人間を失った時の悲しみが怒りに通じること――これは彼らの調査対象である人びとが言っていたことなんですが――が分かったとか述べている。それはその通りなんですけど、1980年代になってそういうこと言ってもらっても困るというのが、私としては正直な気持ちです。ただそれが面白いのは、アメリカ文化人類学の中では、そのような語り方が80年代に許されたということです。儀礼構造の形式分析的なエルツ流の安定型の語りをしてもしょうがないということがようやくその段階で分かったんだとしたら、ほんとに進歩がないなと思います。

 人間はまた何らかのかたちで死者を位置づける。つまり、生々しい死者ではなくて、経験の中で死者をなんらかの受け取りやすい位置に置きかえる。たとえば祖先崇拝というのはそういうものであって、死者から御先祖様というかたちで位置づけを替えることによって、生者が喪失感から大変回復しやすくなることは確かです。あるいは様々な儀礼の中で、つまり葬式というものをやることによって、死の瞬間とかその場におけるショックというものが和らぐということは、多くの人々が語るように真実であろうとは思います。そういうふうに様々な儀礼の効能を語ることは可能です。しかし、喪失や悲嘆を語るとき、人間にとって有り難いのはやっぱり忘れられるということです。いつかは生々しいものとしてのその人を忘れる。「死」者としては残るかもしれないが、それはあくまでも表象となった死者であって生者そのものではない。生者が死んでいるのではない。死者が「死」者というかたちをもつようになる。あるいはそれすら忘れてしまう。これはいわば死者の死であり、死者すらいなくなることになります。これは当たり前のことで、ある個体にとって30年も40年も覚えているという事態が説明されなくてはいけないことであって、忘れるほうは別に説明する必要はない。二三日前にNHKのテレビを見てましたら、戦時中に戦死した許婚とか恋人に対して恋文を書きつづける女たちというのをやってましたけれど、そのような行為は非常にポジティブな今の生の行為である。そしてそこでの死は戦争の死である。二十世紀という非常に特殊な事態に満ちた、人類史のなかで大量死が異常に切迫していた時代において成り立つ特殊な死者と生者の関係、といいますか死者を見つめる生者のあり方の問題なのだろうと思います。

 基本的に人間の経験というのは忘れることの上に成り立っている。経験の再構成、あるいは再編成の大きな要は一定のものを忘れていくということで、忘れることが無ければ経験は満杯になってどうしようもなくなる。忘れることができるから記憶してていいわけだろうと思う。死にかぎったことではないが、死者についてもおそらくそうで、愛着対象について「いつまでも覚えている、あなたのことは決して忘れない」というふうに言っていられるのは忘れるからだ。忘れないで本当に覚えていたらたぶん気が狂う。少なくとも私は気が狂います。

【わたしの死へ】死はある意味では人間の生活にとって健全な要素である。死の恐怖・死の不安というのは普通は「他者の死」については言われない。「わたしの死」に限られることである。それはなぜか。ことによると死の問題ではないかもしれない。まだ分からないところがあるのですけれど、それは基本的には時間の問題だろうと思います。「時間が私の外にあって永遠に続く」と人間が考えるようになる。そして、そのわたしのいないこの世界の未来というのはいろいろな可能性のある、諸可能性を秘めた世界であって、それについてはわたしの想像が及ばないということのもつ恐ろしさなのです。これは簡単に言えば自己肥大の結果です。わたしの死もひとつの喪失ではあるけれど、他者の死の場合は生きている生者の共同体がある個体を失う、喪失することなのに対して、わたしの死の場合は、世界がわたしを失うというふうには思われないということです。わたしが死んだら誰それは悲しむであろうという思いは、「他者の死」の鏡像なのです。この場合は「わたし」が死んだらとはいっても、主観の転換があるだけでなお「他者の死」の拡張です。それに対して、ほんとの死による不安の問題点はわたしが世界を失うこと――本来そのようなことはないのに――で、それが根元にあります。どうしてそのようなふうに思えるかといいますと、そこに「わたしが世界を持っている」という幻想があるからです。持っていなければ失いようがない。われわれはそれぞれに何らかの世界ないし世界の断片を所有してると思っている。それがどんどん肥大していけば……。この世を所有したほどの帝王たちならば、おそらくその喪失の恐怖というものは果てしなく大きいものだったろうと思う。要するに、わたしがこの世を持ってるのにそれを無くしてしまうのが「わたしの死」だということです。ですから、これは死の問題よりも、おそらく世界の所有の問題、世界を無くすことの問題であり、紀元前何千年くらいから現れる様々な帝王たちの自分の死への不安、あるいは死なないことへの執着がその原型だと思います。始皇帝にしてもピラミッドを作らせた王たちにしても。現代人のかなり多くがそういうものの縮小版になってしまっている。それはまたなぜなのか。

 今、死を問題にしてる様々な文化講座などには、自分の死を考えている人たちが来る。そのような個々の人間が、たとえ小さいものであれ、なぜ世界を所有しているという幻想をもつようになったのかというのが、私にとって面白い問題として残っています。答えがないわけではないのですけども、常識的なところにとどまっています。やはりいろいろな意味での個人主義……「わたし」というものの肥大化とはいわなくても、「わたし」というものが主語になるあり方、この世の主語としての「わたし」というものを、平等にかなり多くの人が共有するようになっている、ということでしょう。これはある意味ではパラドックスです。ある物を持つというのは差異化する行為である。その差異化する行為がまったく非差異的に多く者に共有されている事態。これはほんとに逆説的としかいいようのない様態です。

 王の死にしても何にしても、さまざまな「死ぬこと」自体は差異化の対極にあるはずなのに、それを意味領域の中における「死」を差異化することによって、ほかならぬこの「わたしの死」を形づくっていく。しかし、結局はどこかでふたたび無差異へのベクトルが働くのではないか。その時にはいわば「わたしたちが忘れる」。自分がなくなったときに、問題は自分が世界をなくすのではなくて、世界がわたしをなくす――世間が、あるいはちっちゃな身の周り世界が、わたしをなくす。そして、いつかはその人たちの死によって――あるいはその人たちの忘却によってでもいいのですが――最終的に忘れさられる。これを冷静に受け入れられるようになれば、「死」はまったく非差異的な、まさしく死の世界を導くことになる。これが私にはなんとなく平安なことだなあ、というふうに思っております。





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