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内堀基光(東外大AA研)



 想像されたものとしてのインセストと一口に言ってみても、親子間の性交(父子相姦や母子相姦)と兄弟姉妹間の性交を語る語り口のあいだには、きわめて大きなちがいがある。まずこの点を確認しておこう。


 異性の兄弟姉妹間の情愛を描くとき、そこにひそやかなかたちで、あるいはあからさまに性的な彩りをそえつつ語る語り口は、神々にまつわる神話から歴史的挿話をへて現代の文芸小説に至るまで、多くの事例をあげることができる。それはほとんどステレオタイプといってもよい。じっさいに身体的な性交の遂行が話題になっているかどうかは別である。だいじなことは、兄弟姉妹間の親密さというものはロマンス的なセンチメントをともなって語られる可能性ないし方向性をうちに秘めていて、それゆえに、そのかぎりにおいてではあるが、彼らのあいだの性的な関心、あるいは惹きつけあいですら肯定的な価値をおびて現れうるということである。


 それに対して、親子のあいだの性的な交渉は、通常の親子の情愛のあり方とは完全に切り離された場においてのみ成り立つものとして語られるように見える。野卑なたとえを使えば、親子間の性にまつわる語りは大衆週刊誌に見られる「黒の報告書」のたぐいの語り口、徹頭徹尾スキャンダラスな語り口のもとにある。オイディプスの神話の悲劇はおぞましいスキャンダルの悲劇であるといってよい。このように語られたもの、より正確に言えば語られうる可能な事態としての、これらふたつの近親間性愛のあり方の差異はなにに由来するものなのだろうか。


 ここでは兄弟姉妹間の性愛を同世代間インセスト、親子間の性愛を異世代間インセストと呼ぶことにしよう。わたしにとってはどうしてもこの二つを同じひとつの用語で呼ぶことが不自然に聞こえてならないので、ぎこちなさを承知のうえで、あえてこうした合成語をもちいることにする。


 親子・兄弟姉妹といった直近親族の場合、系譜的世代関係と相対年齢差は確実に対応している(より遠い親族の場合はかならずしも対応しない)。その意味では同世代間インセストは同年齢インセストであり、異世代間インセストは異年齢インセストである。ロマンスとスキャンダルの落差がもっぱらこういった年齢差に由来するだけのものならば、話しはかなり簡単なものとなる。だが、はたしてそれだけでけりがつくだろうか。ことによるとあるべき推論の向きは逆で、インセストではない通常の異年齢性愛が異世代間インセストを喚起させる、それがゆえにスキャンダラスなものとみなされている(みなされるようななった)、と言うべきなのかもしれない。いずれにせよ、異世代間インセストが同世代間インセストに比べていっそう忌まわしく感じられることを、年齢差からだけで説明しさってしまうのは、いささか性急な単純化にすぎるように思われるのだ。

 ここではひとつの事実だけを確認しておく。それは同世代間インセストの禁止は人類社会に普遍的なものではないということである。古代エジプトやインカに見られたいわゆる王族のインセストのことを言っているのではない。インセストが禁止事項であるかぎり、その破戒は社会内部である種の特殊な意味をはらみつつ生起しうる。だが、そのような過剰な意味を担う特殊の行いとしてではなく、ローマ帝国時代のエジプト農村においては、両親を同じくする兄弟姉妹間の結婚が一般農民のあいだでごくふつうになされていたことが史料から判明しているのだ。われわれにとって、この一事実のもつ意味ははてしなく重大である。インセストの禁止を交換理論に<直接的に>結びつけることができないことが、ここに如実に示されているからである。そしてそのことは逆に、異世代間インセストの禁止の強さを一層きわだたせることになる。



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