インセストの回避がつくる社会関係
山極 寿一(京都大学大学院理学研究科)



はじめに
 インセスト・タブーは、古くから人間家族の成立に不可欠な規範と見なされてきた。動物社会の比較から人間家族の成立過程を構想した今西錦司も、この規範を家族が成立するための四条件(外婚制、インセスト・タブー、男女の経済的分業、近隣関係)の一つと見なしている。しかし、今西はインセストがすでに人間以外の霊長類においてもめったに起こらない現象であることを知っていた。動物園のサルや餌づけされ個体識別された野猿公園のニホンザルで、少なくとも母親と思春期に至った息子の間で性交渉が回避されていることが報告されていたからである。その後、人間以外の霊長類の社会構造を広範に比較し、その社会進化を論じた伊谷純一郎はインセストの回避が霊長類の社会構造を決める重要な要因となっていることを示唆している。ただ、伊谷は近親間における性交渉の回避傾向が個体の出入りを左右するとは見なしていない。この二つの現象は霊長類ではそれぞれメイト・アウト、交尾回避と呼ばれ、異なる動機に基づいていると考えられているからである。メイト・アウトは思春期に達したオスやメスが自分の生まれ育った集団を離脱したり、加入した集団を再び離脱することを指す。近親者間の交尾回避がメイト・アウトを促進しているという例は少なく、むしろメイト・アウトが結果的に近親間で交尾を避けることに貢献していると考えられる。
 ところが、人間の社会ではこの二つの現象が楯の表裏のような関係にある。インセスト・タブーによって姉妹との婚姻を禁じられる兄が与え手となって、外部の受け手(夫)との間に女の交換が成立することが外婚制であると見なせるからである。外婚制は霊長類のメイト・アウトに、インセスト・タブーは近親間の交尾回避に由来する現象だと考えられる。では、なぜ人間の社会では交尾回避がメイト・アウトを結果するようになったのだろうか。

メイト・アウトはなぜ起こるか
 雄の移動は、成長するにつれて集団内の他の雄との間で交尾相手の雌をめぐる競合が高まったり、集団外により多くの繁殖相手を求めようとすることが、主たる原因と考えられている。ペア以上の大きな集団をつくる霊長類はふつう雄の方が雌よりも体格が大きいので、雌同士が交尾相手をめぐって激しく争うことは少ない。また、雌の発情期間は限られており、妊娠中や育児中の雌は発情しないことが多い。このため、いつでも交尾可能な雄と比べて、交尾可能な雌の数はいつも不足気味で、雄間に交尾相手をめぐる競合が起きやすいとも考えられる。多くの種では、雌が集団を離れるのは繁殖相手を集団外に求めるためと考えられている。まれに雄から交尾を拒否されたり、子殺しが起きた集団を去るという場合もあるが、雌はむしろ自発的に繁殖相手を求めて集団をわたり歩くようだ。保護能力の高い雄を選んだり、見知らぬ雄に惹かれるという傾向も指摘されている。
 母系社会でも父系社会でも、移動する雄や雌は生涯に二度以上移籍すると考えられている。最初は生まれ育った集団からの離脱で、父母、兄弟姉妹といった近親者との離別を意味する。二度目以降はその後加入した集団からの離脱で、交尾相手や自分の子どもたちとの離脱である。雌雄の違いは、最初に離脱した後に顕著に現れる。まず、集団生活をする霊長類種では雌は単独で暮らすことはない。そのため、雌は離脱後すぐに別の集団へ移籍する。一方、雄は単独でしばらく暮らすか、同性の仲間だけで集団をつくるなど、雌より選択の幅が広い。また、雌は出産すると移籍しなくなる傾向がある。子育てをする雌にとって顔見知りの仲間と暮らす方が安全であるためと、授乳中は発情が抑制されているためであろうと思われる。集団間を移籍する雌の大半は、乳児をもたない発情可能な状態であり、雌の移籍の目的は繁殖相手を得ることであることがわかる。これに対して、母系社会の雄はあまり一つの集団に長く滞在せず、何度も移籍を繰り返す傾向がある。母系社会と父系社会を比較すると、雌の移籍が出産後に停止する父系社会の方が成熟した近親の雌雄が共存する可能性が高く、インセストの起こる機会が多いと考えられる。

近親間の交尾回避はどのようにして起こるか
 両生類、鳥類、齧歯類では、形、声、臭いを手がかりに生まれながらにして近親者を識別できることが知られている。ところが、霊長類では生まれつき近親者を識別する能力が欠落していることがわかってきた。どうやら、霊長類では生まれ落ちてからの社会的経験が交尾回避を引き起こしていると思われるのである。
 実は、このことは人間の社会でいち早く指摘されていた現象だった。一八九一年に『人類婚姻史』を著したウェスターマークは、一緒に育った近親者同士は性的関心を失う傾向のあることを強く示唆している。ところが、この説は(ウェスターマーク効果)は同時代に精神分析学を創始したフロイトによって黙殺されてしまう。ウェスターマークの説は、後の人類学者たちからもほとんど無視される結果となり、人間社会における近親者間の交尾回避傾向は長い間実証されず、論議の対象にもならなかった。
 ウェスターマークの説を復活させたのは、中国における幼児婚とキブツで育った子どもたちの結婚に関する調査だった。中国でシンプアと呼ばれるこの幼児婚は、男女ともに幼児のうちに将来結婚する相手が決められ、娘が婿になる息子の家に引き取られて一緒に育てられる制度である。シンプアで結婚した者を含む一四二〇〇人の女性を調査したウォルフは、シンプアで一緒になった女性の出産率が有意に低く、離婚率が高いことを見いだした。もう一つの例はイスラエルのキブツで、ここでは家族という集団が解体され、子どもたちは親と離されて共同保育される。キブツで二七六九組の結婚を調査したシェファーによれば、同じキブツの出身者同士の結婚はそのうちわずか一三組だった(Shepher, 1971)。つまり、同じキブツで幼児の頃一緒に育った男女は、互いを適切な結婚相手と見なさなかったのである。
  近年になって霊長類の野外研究が進むと、ウェスターマーク効果が人間以外の霊長類でも広く認められることがわかってきた。マカクやヒヒの仲間は母系的な集団をつくる種が多く、ふつうはメイト・アウトによって母と息子が交尾する機会は減じられている。しかし、たとえ雄が思春期以後に生まれ育った集団に残っていても、母と息子は交尾をしない。長年にわたって継続した調査が行われている京都府嵐山のニホンザル群では、母系的な血縁関係の三親等(叔母と甥の関係)以内の近親者間ではめったに交尾が起こらないことが判明した。ほとんどの種では母親を同じくする兄弟姉妹間には交尾が起こらないし、父系的な血縁でも父と娘(アヌビスヒヒ、ゴリラ)、兄弟姉妹間(タマリン、マーモセット)には交尾が起こりにくいという報告がある。
 なぜ、こうした近親者間に交尾が起こらないのだろうか。この問いに対する答えとして最もよく挙げられているのは、「幼少期の密接な関係が交尾回避を引き起こす」という理由である。母系的な集団をつくる種では、母親を中心にして兄弟姉妹、祖母と孫、叔母と甥、イトコ同士などが結束する傾向が強く、他の家系のサルたちとけんかをするとよく助け合う。こういった親密な関係が母親と息子に見られるような交尾回避を生み出しているというわけである。
 雄と子供の間にも同じようなことが起こる。雄が幼児を熱心に世話するような種では、雌の幼児が性成熟に達したとき、この雄と交尾をしないことがわかってきた。南米に生息する小型の霊長類タマリン、マーモセットの仲間は、子どもが生まれた直後から雄が引き取って積極的に世話をすることが知られている。これらの雄たちは自分が育てた雌の子どもたちとは交尾関係を結ばない。単雄複雌の構成をもつ非母系的な(雌が集団間を移籍する)集団で暮らすゴリラでも、雄が子どもと離乳期前後から親密になる傾向があり、この雄と思春期に達した娘ゴリラの間で交尾回避が起こる。母系や父系という集団の構造とは独立に、幼児期の親密な関係が性的関心を失わせるという傾向をどの種ももっていると考えられるのである。
 血液からDNAを採取してその組成を比較するフィンガー・プリント法が開発され、父子判定が可能になってから雄の行動を血縁関係と照らし合わせて調査できるようになると、驚くべきことがわかってきた。京都大学霊長類研究所の囲いのある放飼場で暮らしているニホンザルの集団で父子判定を行った結果、母と息子、同母兄弟姉妹の間には子どもが生まれていないが、父と娘、異母兄弟姉妹間では生まれていることが判明した。また、ニホンザルに近縁なバーバリマカクを放飼場に放して観察した結果では、母系的血縁の四親等(イトコ)以内の組み合わせのうち、実際に交尾が見られたのは一割にも満たなかった。一方、父子判定を行って父系的血縁内での交尾交渉を調べてみると、四親等以内の五割をこえる組み合わせで交尾が見られた。ニホンザルでもバーバリマカクでも、父系的な血縁内では交尾は回避されていなかったのである。
 ところが、血縁とは関係なく交尾回避が起こることも明らかになった。バーバリマカクの雄は、生まれた直後の赤ん坊を離乳するまで積極的に世話を焼く。雄と子供の間にはふつう血縁関係がない。しかし、こういった雄と子どもの雌は、子どもが成長して交尾が可能になっても母系的血縁並にほとんど交尾が起こらなかったのである。すなわち、交尾回避に必要なのは実際の血縁関係ではなく、生後につくられる持続的な親和関係だということになる。

交尾回避がメイト・アウトを引き起こす条件
 これまでの報告の中にも、交尾回避が結果としてメイト・アウトを引き起こしているのではないかという推測がある。しかし、多くの報告はむしろメイト・アウトは交尾回避とは無関係に起こると見なしており、さまざまな場所で長期にわたる研究が行われているニホンザルでも両者に強い相関は見られない。おそらく、交尾回避がメイト・アウトを引き起こすには特別な条件が必要だと思われるのである。
 まず、集団サイズは小さい方がいい。なぜなら、近親者以外に交尾可能な異性がたくさんいれば、雄も雌も近親者との交尾回避によって交尾相手が不足する事態にはならないからである。ニホンザルやバーバリマカクの例から推測すると、四親等以内の母系的血縁者の他にあまり異性がいない位の集団サイズなら、交尾回避によってメイト・アウトが促進されると考えられる。
 ニホンザルの例は、集団サイズの問題を考える上で好適かもしれない。野生のニホンザルはふつう五〇頭前後の群れで暮らしている。群れの遊動域は隣の群れの遊動域と一部重複しており、それぞれの群れはいくつかの隣接群と出会いを繰り返すことになる。屋久島に生息しているニホンザルはとくに群れサイズが小さく、二〇頭前後の群れが多い。四親等までの家系集団を想定すると、この群れサイズではせいぜい二つか三つの家系しか含むことができない。そのためか、屋久島ではすべての雄が思春期に至ると例外なく出自集団を離脱している。ところが、ニホンザルは餌づけされると急速に個体数を増加させて一〇〇頭以上の集団に膨れ上がる。こうして群れサイズの大きくなった集団では、思春期を過ぎても生まれた集団を出ていかない雄が見られる。大分県の高崎山、京都府の嵐山、長野県の地獄谷などの餌づけ群で、離脱せずに成熟した雄たちが優劣順位を上げて最高位に登りつめた例が知られている。これらの雄たちはたしかに母系的血縁関係のある雌たちとは交尾をしない。しかし、自分の家系以外にたくさんの雌が同じ集団で共存しているので、雄たちの性的活動が極度に抑制されることはない。
 嵐山では、ちょっと変わった現象が報告されている。秋から冬にかけての交尾季に持続的な交尾関係をもった雌雄が、雌の発情が終わっても親密な関係を続けるようになる。雌にとって優劣順位の高い雄のそばにいられれば、撒かれた餌を優先的に取ることができる。このため、雌はこの雄を継続して追随するようになるが、次に交尾季がめぐってくると雄への性的関心をしだいに示さなくなる。血縁関係はないものの、交尾を契機に結ばれた親密な関係が、やがて両者間に近親者間に見られるような交尾回避を引き起こすのである。こういった現象が生じるのも、群れサイズが大きく、交尾をする雌が新たに増えても雄の性的活動が抑制されないことがその一因になっていると考えられる。
 次に条件として考えられるのは、子どもが思春期に達するまで親がその集団を離れないことである。ニホンザルのような母系社会では、雌は動かないが、雄はふつう短期間しか一つの群れに滞在しない。このような群れでは、思春期に達した雄と母系的血縁関係のある雌との間でしか交尾回避は発現しない。たとえ雄が幼児と親密な関係を結んでも、その幼児が性成熟に達する前に雄がいなくなってしまうので、交尾回避を示す機会がないのである。これに比べると、ペア型社会や、雌が集団間を移籍する非母系社会の方が両親と交尾回避を起こす機会が多いと言えるだろう。非母系社会では雄より雌の方が集団を離脱しやすいが、出産後に雌の移籍が停止するために、娘も息子も思春期に達したとき両親が出自集団に残っている確率が高いからである。
 もう一つの条件は、幼児と異性の年長者との間に持続的な親和関係が結ばれることである。せっかく雄も雌も子どもと長期に同居する条件が整っても、幼児との間に親密な関係が生じなければ交尾回避は生まれない。雌の場合は、出産に引き続く育児を通して幼児との親和関係は自然に形成されるが、雄はそのような機会が必然的にめぐってくるわけではない。
 雄が積極的に育児をする種は、霊長類では限られている。タマリンやマーモセットの仲間はとくに高い育児能力を示し、母親は雄に育児をまかせッきりで授乳のときしか赤ん坊と接触しないことさえある。これは多産と関係があり、これらの種は母親の体重の一割を超える赤ん坊を双子、三つ子として産む。雄の子育てへの参入がなければ、とても母親だけで育てることはできない。バーバリマカクやアヌビスヒヒなども雄が特定の幼児を積極的に世話するが、これは幼児を抱くことによってその母親や近親個体からの援助を得られるためである。優劣順位の低い雄にとっては、幼児と親しくなることが社会的地位を向上させる手段となっているのである。
 これらの霊長類は雄が比較的短期間しか一つの集団に滞在しないので、野生では幼児との親密な関係が交尾回避につながる機会は少ない。しかし、雄が集団間を移籍しないテナガザルやゴリラでは、雄と幼児の間の親密な関係が交尾回避に結びつく事例が野生で見られる。テナガザルはペア型、ゴリラは単雄複雌の構成をもつ集団で暮らすが、いずれも雄が一度自分の集団をつくると、生涯その集団を離れないという特徴を持っている。雄は生まれたばかりの赤ん坊にはあまり興味を示さず、乳離れをする頃から子どもと密接な関係をもつようになる。抱いて運んだり、一緒に寝たり、外敵から保護するなどの育児行動は、子どもの成長とともに遊ぶ関係に変わっていくが、親密な関係は思春期まで持続する。そして、雌の子どもは思春期にこの雄との交尾回避によって、集団の外に交尾相手を求めて出ていくと考えられるのである。

ゴリラの社会における交尾回避とメイト・アウト
 マウンテンゴリラでは、雄も雌も性成熟前に生まれ育った集団を離脱する。雌は離脱後すぐに単独生活をしているヒトリ雄か、別の集団へ移籍するが、雄は別の集団へ移籍することも元の集団へもどることもできない。離脱後しばらく単独で森を放浪し、やがて他集団から雌を誘い出してきて自分の集団をつくる。最初のうちは雌が出たり入ったりするが、そのうち出産すると雌は雄の元に定着するようになる。こうしていったん雌と子どもを得ると、雄は生涯その集団の核雄として居続けることになる。それは、ゴリラの社会では集団の外から別の雄が加入してきて核オスを追い出し、その集団を乗っ取るということが起こらないからである。ただ、核雄が老境に達すると息子達が性成熟後も集団に残るようにあり、やがて核雄の死後はその集団を継承するようになる。こういった集団の編成様式はヒガシローランドゴリラでも基本的に同じである。
 このような複数の雄が共存する複雄群では、雄ばかりでなく雌も生まれ育った集団を離脱しなくなることがわかってきた。それは、若い雄たちが集団に残ったおかげで、離脱前の雌たちが集団を出ずに交尾相手を見つけられるようになったからである。雌たちは幼児期に親密な関係を結んだ核オス(たいがいは父親と考えられる)や同母兄弟とは交尾を回避する傾向がある。しかし、異母兄弟とは交尾関係を結び、妊娠して出産することがある。ヴィルンガのマウンテンゴリラでもカフジのヒガシローランドゴリラでも、単雄群よりも複雄群の方が生まれ育った集団で出産する雌の割合が高いのである。つまり、ゴリラでは父系的な兄弟姉妹間には交尾回避が発現せず、その組み合わせで交尾関係が成立するとメイト・アウトが阻害されると考えられる。
 ゴリラの社会で交尾回避が若い雌のメイト・アウトを引き起こす条件としては、以下のことが考えられる。まず前述したように、集団のサイズが小さく、出産後に雌の移籍が減少する必要がある。ゴリラの集団の平均サイズはどの地域でも10頭前後だし、雌は出産後に特定の雄のもとに定着する傾向がある。そして、外からの雄による集団の乗っ取りがない。これらの条件は、雄と幼児に親密な関係をつくらせ、それを思春期に至るまで持続させることに貢献している。
 ゴリラが葉や樹皮など、いつでもどこでも手に入る食物を常食にしていることもメイト・アウトを促進する条件となる。食物の競合が低ければ、個体同士が近接して集団がまとまりやすいので、雄と幼児が親和的な関係をつくる機会も増える。ゴリラはなわばりをもたず、隣接集団と大幅に遊動域を重複させている。そのため、さまざまな集団と頻繁に出会うので、雌は移籍する対象を選ぶことができる。これは、単独生活をしないゴリラの雌にとっては重要である。他の集団やヒトリ雄と出会ったときに移籍をするので、出会いが多い方が相手の情報を十分に得られるからである。
 また、母系的血縁内の結束が希薄なことも、雌を移籍しやすくしている要因と思われる。ゴリラの母親は、ニホンザルのように子どものけんかに加勢して相手を駆逐しようとはしない。自分の子どもが劣勢のときは庇うが、あえて自分の子どもを勝たせようとしてけんかに介入することはないのである。けんかに介入するのは核雄が多く、この場合はほとんど常に体の小さい方、劣勢の方に加勢の手が差し伸べられる。つまり、核オスの介入はけんかの抑止に力が注がれていて、どちらかの勝敗をつけることではない。このため、ゴリラの雌は生まれた集団にとどまっても、他の集団へ移籍してもそれほど大きな差はない。どこでも自分の血縁者からは大きな援助は期待できないし、劣勢になればいつでも核雄からの加勢を得られるからである。
 こういった生態学的条件や社会的条件がうまく組合わさった結果、若い雌が出自集団を離れて他の集団へ移籍することになる。そして、興味深いことにゴリラの集団ではインセストの回避が雌の離脱を動機づかせ、移籍を通じて雌の与え手(父親あるいは同母兄弟)ともらい手(移籍先の核雄)をつくりだしている。これは奇しくもレヴィ・ストロースの想定した結婚を介した女の交換によく似ている。ゴリラも人間も、インセストを回避する関係だからこそ近親の若い雌(女)を集団外へ出し、競合関係を高めずに他の集団へ移籍させることに成功しているからである。

回避から規範へ
 霊長類社会に広く見られる「幼児期の親密な関係が後に交尾回避を引き起こす現象」は、ある条件下では若い個体の交尾相手の不足をもたらし、出自集団からの離脱を促す効果をもっている。そして、それはとくに非母系的な小さな集団で大きな影響力を発揮する。これはインセスト・タブーが外婚制が強く結びついた人間の家族の原型を予感させる現象である。では、なぜそれが人間では規範になったのだろう。
 生まれつき血縁を認知する遺伝的な能力を備えていない霊長類は、生まれてからの社会的経験によって血縁を認知する。この認知は母系的血縁内では一致するが、父系的血縁内でははなはだあやしい。実際に血縁関係になくても幼児と親和的な関係をもちさえすれば、雄は雌と父親や兄弟のような交尾を回避する関係に成り得るからである。これは人間の家族において父親がいくらでも取り替え可能であることと一致している。
 ゴリラにおける交尾回避とメイト・アウトが示唆しているのは、親子関係における親しさと性関係における親しさが違うものであり、同時に二者間に共存できないということである。そして、それが別物だからこそ親子は性的競合に陥ることなく共存できる。ゴリラの集団で父親と息子が共存できるのは、父親にとっては娘、息子にとっては母親というように互いに回避する異性がいるからである。回避する対象を互いの交尾相手として認め合うことで二世代の雄たちは共存できる。それは、成熟した雄同士がそれぞれ独占的な配偶関係を守りながら共存する「アダルトリーの禁止」へと発展する可能性を示唆している。親和的な関係をもつ雌雄だけでなく、交尾を回避する異性の対象を増やせば、それだけ雄(男)たちが性的競合を高めずに共存する機会が増すからである。
 ただ、ゴリラの父親と息子の共存は異母兄弟姉妹間のインセストを必然的に結果し、若い雌の移籍を抑止する効果をもっている。もし、若い雌の移籍を恒常的に促進しようとすれば、交尾回避を起こす範囲を規範として広げて、出自集団内で思春期に達した雌が交尾相手を見つけられないようにする必要がある。雌の移籍が双方の集団にとって利益につながれば、これは実際に起こった可能性がある。
 その利益とは、雌の交換によって二つの集団が敵対関係を解き、さまざまに協力できるようになることだったに違いない。チンパンジーやボノボでは食物を他者に与える分配行動が知られている。とくに、肉食をする際には獲物をもった個体のまわりに何頭もチンパンジーが群がり、執拗に分配を要求する。獲物の所有者はたいがい最優位の雄であり、自分の協力的な雄や雌にだけ肉を分ける傾向があるようだ。このように、類人猿は食物の分配を政治的な目的に用いることがあるが、肉と違って交尾相手は分配できない。そのため、交換という社会技法が必要になる。雌の交換によって雄と雄、集団と集団が相互媒介的に結ばれることこそ、家族という人間特有の集団単位を登場させる契機になったと思われるのである。
 かつて今西が予想した人間家族成立の四条件のうち、「近隣関係」(隣り合う集団同士が緊密な協力関係を結んで上位の集団をつくること)は霊長類に見いだすことができなかった。ゴリラもチンパンジーも集団関係は敵対的で、とても二つの集団が融合したり協力関係を結ぶなどということは考えられない。霊長類で重層的な集団構造をもつのは、単雄複雌の集団がいくつも集まるマントヒヒやゲラダヒヒだけである。これらのヒヒは森林性の類人猿と異なり、樹木の少ない草原に生息し、捕食者を避けるために断崖絶壁にまとまって寝るという共通点をもっている。おそらく、初期の人類も森林からしだいに草原へと活動の場を移していくにしたがい、複数の小集団がまとまって活動する利益が大きくなったに違いない。その連合を実現させるために、初期の人類は類人猿から受け継がれた交尾回避とメイト・アウトの連携を約束事として拡大強化したのだろう。それは双方の集団に配偶者の交換を通じて性的競合の自制や抑制を要求し、それを担保として血縁関係に匹敵する親和的な関係をもたらすことになった。
 人間家族は父性という仮構としての親性を創り出すことによって成立したと私は考えている。それは、雄が雌と同じように親子としての親和的な関係を子どもと結ぶことによって可能になり、性的な親和性とは異質な関係を周囲につくることによって形を成す。インセストの回避は、そういった仮の親子関係をつくった副産物として父親と娘の間に必然的に生じたと考えられるが、おそらく初期の人類はそれを逆に規範として利用したのだろう。インセストの回避を規範にすることによって、異性との複合的な関係(例えば、自分の娘で他人の妻というような関係)が生まれ、他者や他集団との共存が可能になるからである。こうした意味でインセスト・タブーは、インセストを防止する機能だけに限定された規範ではない。それは、同性間、異性間に多元的な関係を創りだし、異性の交換を通じて同性同士、集団同士を結びつける文化的な装置である。まさに「自然から文化への移行を示す規範」であり、初期の人類が複数の家族からなる重層的な社会をつくるための不可欠な第一歩だったと言えるだろう。




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