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黒田 末寿(滋賀県立大)



 ほ乳類の母親は、出産直後に新生児の身体をくまなくなめる。これは母親の子どもへの絆を形成し、かつ、子どもの代謝を促進する行為であり、新生児が生き延びるために不可欠である。A・モンターギュはこの重要性を強調し、人間の新生児の場合、狭い産道で圧迫されることがこの行為に意味をあたえるという仮説を提唱している。

 この仮説によれば、結局、人類の難産は新生児の発達と母親に必要なストレスであるということになるが、その発想の底には、現生人類の生理メカニズムはいかに不合理に見えるものでもそれなりの意味があるという信念があるように思われる。しばらくこの考えに沿って進めよう。

 まず、人類がいかに強いストレスに耐えてきた、あるいは耐えられる生き物であるかといういまさらながらの驚きだけでなく、そのストレスを何らかのプラスに転換してきたのではないかという想いが浮かぶ。これとあわせて興味深いのが、子ども期の抑圧である。ざっとした観察ではあるが、親が子どもに向かって発する言葉のほとんどは直接的禁止やうながしである。うながしは子どもがしている行為の中断に他ならないので、広い意味の禁止といえる。産業社会外の子どもであっても労働に動員されたり、大人の意向に添って行動決定されていることが多いから、親による「抑圧」(むろんこの抑圧は通常の意味とは異なる)ということでは同じであろう。だが、子どもはこれに耐えるし、むしろ喜んでそれに従うのである。おおざっぱにいって、それが社会化と呼ばれる過程である。これからすると、子ども期は学習期であるだけでなく、被抑圧期である。人類は、社会的・生理的ストレスを社会的・心理的にプラスに転化するように進化したとすれば、難産といわれるところに実はプラスの仕掛けが宿っているかもしれないと思えてくるのだ。

 というのも、産道の屈曲や大きすぎる脳で難産になるとはいっても、出産時に産道が広がる仕組みがあるのだから、これがもう少し強く機能するようになれば(実際薬でかなり緩められるらしい)最初から多経産女性のように安産になるのではないかと思えるからだ。一昔前にいわれていた直立二足歩行と脳の拡大を直接結びつける考えが見直されなければならないように、難産をそれらの直接的な結果とする従来の考えを検討する必要があるだろう。いずれにせよ、進化におけるストレスの問題は、もっと広くプラスの面も含めて考えられてしかるべきだろう。

 鵜殿さんから教えてもらっていたことだが、チンパンジーの出産場面で新生児が親の背面を向いて出てくるケースが確認できたのも収穫であった。これはチンパンジーの新生児も産道を回転しながら通過している可能性を示唆している。このことも出産の進化的捉え方に大きな意味をもっている。
 だが、シンポジュウムで何よりも新鮮だったのは、助産婦の見事な技術が個々人で違っているらしいという説明だった。私たちの生きて感じていることに、まだ説明しきれない広大な何かがあるということを実感させるものがあった。




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