人を咬む犬・人に食われる犬
松井 章(独立行政法人 奈良文化財研究所・埋蔵文化財センター)



 縄文時代の貝塚から出土したイノシシやシカの骨を観察すると、関節に近い部分、特に腱が付着する部分に不規則な凹凸が多数見られることに気がつく。それが犬の咬み痕である。実験考古学でこれを証明しようと、わが愛犬、ヘラルドに、ウシの肋骨を与えてみて驚いた。数秒のうちに長さ20センチ近かった肋骨に驚喜した彼は、一瞬のうちにそれを飲み込み、さらにもっと欲しいと訴えていたのである。その肋骨は胃酸によって溶かされたようで、彼の食欲は衰えるところがなかった。それで実験は放棄してしまったが、実際に遺跡から出土する獣骨に見られる傷跡が犬の歯形に間違いないとすると、同じ傷痕が中近世の遺跡から出土する人骨にも多数見られる。平安時代末から戦国時代にかけての港町、広島県福山市の草戸千軒町遺跡では、ゴミ穴から、牛や馬の骨に混じってヒトの頭蓋骨破片や散乱状態の四肢骨が出土し、そうした人骨に犬の咬み跡が見られた。他の中近世の遺跡でも、特に溝や河川跡から出土する散乱状態の人骨には、犬の咬み痕が多く見られることが多い。犬が人間を食う情景は、平安時代から鎌倉時代に描かれた『餓鬼草紙』、『地獄草紙』ほかの絵巻に描かれ、文学作品にも多々見られるが、それはおどろおどろしい地獄の世界を、想像でデフォルメしたものと考えられてきた。ところが、これまでにわれわれが整理・分析した、兵庫県深田遺跡(平安)では哺乳類73点中、14点が散乱状態で出土した人骨で、特に脛骨に犬の咬み傷の見られるものがある。兵庫県尼崎市大物遺跡(戦国、江戸)から出土した動物遺存体でも、哺乳類全体で、320点出土したうち、犬101点に次いで、人骨が89点と2位を占め、やはり犬の咬み傷が見られる。犬もほとんどが解体され、刃物痕も見られる。これらの遺跡は、斃(たお)れ牛馬の捨て場であったと共に、食用となった犬の捨て場であり、貧しい人たちの喪葬の場でもあったと考えられよう。貧しい人々の骸は、郊外の斃れ牛馬の捨て場と同じ場所で、そのまま犬や烏によって貪り食われ、始末されるといった現実が存在したことを示す。最近、文献史学の上からも、江戸の周縁部には、死者を置き去りにし、遺骸を犬や烏に始末させる場所があったことが指摘されつつある。時には死体を始末し、時には人に食われるという、こうした人と犬との関係は、歴史を通じて日本人の動物観を微妙なものとしているだろう。




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