性交の種類―「義務」か「快楽」か
椎野 若菜(青山学院大学)



 人間の行う性交には多様性があり、そこにはさまざまな意味が付与されている。そうした性を概観する際、分析概念として「快楽」という視点を据えたなら、その対極に「義務」を据えることがある。では、私の調査するケニア・ルオの人々の行う性交について、その意味づけを分析するとき、果たして、この二項対立の図式はどこまで有効なのだろうか。

 世界中の多くの民族にみられるように、ケニア・ルオの人々も、多様な性交を行う。まず、@結婚生活における夫と妻の性交がある。そしてA夫の死後もその妻が亡夫の土地で生活を続けるため、「レヴィレート」(テール(ter))関係を結んだ男女(寡婦と代理夫)の性交がある。そのほかにも、B婚外で行われる男女の性交や、獣姦、同性愛などがある。これらすべての性交に共通するのは、榎本知郎も「われわれ人間がなぜ性交するのかと言えば、子どもをつくりたいというよりは、まず快楽があるからだろう。性交を始めると性的に興奮し、男女ともに多様な生理的反応が起こってくる」(1997)というように、そこに快楽が伴うことである。たしかに、Bの性交は、ルオでも倫理として禁じられており、それを破ると不幸が訪れるとされている。それでも、人々はこの禁忌を破っても性交を行い、それをこっそりと、快楽との関連で語るのである。

 他方、@の結婚、Aの「レヴィレート」(テール)関係における性交というのは、社会的に承認された制度であり、そこには権利義務関係が生じている。例えば、父系社会においては、既婚女性は子ども(とくに男児)をもうけなくてはいけないという、義務ともいえる社会通念がある。ただ、この男女関係で興味深いのが、こうした子どもの再生産をめぐっての義務的な性交だけではなく、いつ、どこで、誰と性交をしなくてはいけないか、ということが事細かに決められた性交が存在するのである。例えば、それは農暦や近親者のライフサイクル(誕生から結婚、独立するためのコンパウンドの建設、死)、建物の建設、などと深く結びついた性交であり、その手順や方法を誤ると、チラとよばれる大きな災厄が降りかかると考えられている。ここではそれを儀礼的な性交と呼ぶ。

 これまで儀礼的な性交は義務の面だけが強調され、快楽としての側面は等閑視されがちであった。むしろ快楽を排除することで、この性交を儀礼的な、あるいは義務としての性交たらしめてきたのである。たしかに、人々は儀礼的な性交のなかに快楽を求めてはいけない、そう語ってはならないという認識を持っている。しかし、それでも、こっそりと語られる噂話に耳を傾けてみると、人々は儀礼的性交にも快楽を求めているのである。

 本発表では、人間がもつ性をめぐる規範、禁忌、そしてその違反にたいする制裁、といった説明体系をルオの事例を用いて分析する。さらにルオの人々が、性交のなかでも儀礼的性交をどのように実践し意味づけているのかに注目することで、「快楽」と「義務」という対立が決して対立する軸ではないことを明らかにしたい。





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