痛みが快楽に変わるとき、暴力が信頼の証となる――性進化の極北へ
田中雅一(京都大学人文研)



 本報告ではSMという性的快楽を追求する実践を人類史的な文脈で進化の極北として位置づける。

 性の快楽、生殖、結婚、家族や愛などの感情、人格などは理念的には相互に自律していると考える方が妥当であろう。だが、一方で近代恋愛結婚イデオロギーを典型とするように、それらが結びつけられてきたのもたしかである。生殖と性的快楽が異なる、という根拠のひとつは、生殖に結びつかない性行為である。同性愛、肛門性交、フェティシズムなどの「ヘンタイ行為」が即座に思いつく。

 そうしたヘンタイ行為のひとつにSMがある。SMは暴力を媒介とし、痛みを快楽に変換する技法である。本来相反する痛みと快楽が結びついているところに、数あるヘンタイ行為の中でのSMの特異さがある。SMは痛みを快楽に変えるだけでなく、さらに相互の信頼関係を生みだす逆説的な性の技法なのだ。暴力が信頼を生むのである。その信頼は、かぎりなく個人化する(二人の世界)恋愛と異なり、共同化を可能とする。ここではとくに快楽が信頼(trust)とどう関係するのかを考察する。その際、高名なSMレズビアン人類学者ゲイル・ルービンによる、SM同性愛者たちの研究を取りあげる。

 ルービンは、やはり高名だが、反SMのレズビアン・フェミニスト思想家ジュディス・バトラーとの対談(differences誌上 summer/fall 1994)でI also did not know that at least one sexual activity, fist-fucking, seems to have been a truly original invention.と述べている。げんこつファック(fist-fucking, fisting)が発明されたのは1960年代始めであり、その後1960年代末から70年代始めにかけて急速に普及していった。げんこつファックの実践共同体は主としてSM嗜好の男性同性愛者たちの間においてであった。具体的にはこのげんこつファックという技法に注目する。





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