サルのことば〜比較行動学からみた言語の進化
小田 亮(名古屋工業大学 人間社会科学講座)



 今日は比較行動学からヒトの言語の進化というものをみてみると一体どのようにみえるだろうかという話をしていきたいと思います。私の専門は比較行動学で、具体的に何をやっているかというと野外でサルの行動を観察しているわけです。ですから、行動を専門的に研究する私は、コミュニケーションとしてヒト言語を考えることで、言語の進化について考えていこうと思います。こういったときに、コミュニケーションの段階として、大きく3段階に分けられると考えられます。まず第1段階として最も単純なコミュニケーションがあります。それは発し手の自律反応が表にあらわれ、それを見た受け手に何らかの情報が伝わるというものです。その例として、ニホンザルの発情音をあげることにします。ニホンザルは、オスとメスが複数いるグループを作り、交尾期はだいたい秋から冬にかけてです。秋から冬にかけてメスは発情します。そして、発情したメスは発情音という普段は出さない特異的な音を出します。発情音を、時間軸に沿った周波数の変化がわかるサウンドスペクトログラフにかけてみると、大きく分けて2種類あることがわかります。一つは、アトーナルな交尾音と名付けた非常に雑音成分の多い「カッカッカッカッ」という声です。もう一つは、トーナルな交尾音と名付けた尻上がりでビブレーションがかかる「ウァー」というような声です。調べたところ、オスとの距離が遠いときに後者が、オスとの距離が近くなって身体接触が始まると前者が多くなるということが分かりました。

 メスがこうして交尾の時に大きな声を出すと、周囲の個体に交尾中だと気付かれて、その周りにいた個体は交尾の妨害をしようとします。そこで、発情音を伴って交尾をした場合と伴わなかった場合とで、妨害を受けた割合を調べてみることにしました。するとやはり、発情音を伴った場合の方が、妨害の割合が高かったのです。これは、メスが発情音を出して騒ぐことで、周りの個体に結果的に自分が交尾していることを知らせていることを示しています。この場合大事なのは、メス自身がおそらく意図的に発しているわけではないということです。メスは興奮して鳴いているだけなのでしょう。ですから発し手の意図はほとんどないと思われます。それから発し手の方が、何かしら意図的に声を変えているということも、たぶんあり得ないでしょう。そして、音声自体にも情報がほとんど含まれていません。メスの性周期と発声頻度との関係も調べてみたのですけれど、排卵期が近くなるからといって発声頻度が上がるかというと、そうではありませんでした。発声自体、ほとんど情報が含まれていないわけです。しかし、結果として、周りの個体に自分が交尾していることを知らせることになるのです。要するに発情音とは、発声しているメス自身の意図にかかわらず、何らかの機能を結果的に持ってしまっている音声といえます。このように、発し手の生理的な事情で発せられている音声が、集団の中で結果的に機能を持ってしまうというのが、コミュニケーションの最も単純な形だと考えられます。

 次の段階として、発し手が意識的に、発声の質なり頻度なりをコントロールすることがあげられます。そうすることで、発し手は、自分の感じている恐怖や喜びだけではなく、外部についての何らかの情報をも音に託して伝えることができます。

 この例として、マダガスカル島に住んでいるワオキツネザルの警戒音をあげます。彼らには2種類の捕食者がいて、一つはワシ・タカなどの猛禽類、もう一つは地上から来る肉食獣です。ワオキツネザルというのは、この2種類の捕食者に対して、別々の警戒音を出します。猛禽類が飛んできますと、「ギャアー」という悲鳴のような警戒音をだし、肉食獣が来ると、地上にいたワオキツネザルは一斉に木の上に登って、「ピャッピャッピャッ」という警戒音を出します。サウンドスペクトログラフにかけてみると、この2種類の警戒音は全く違った音質であることがわかりました。このように、ワオキツネザルは、捕食者の種類に対応して2種類の警戒音を持っていて、これらを使い分けているということが言われています。そして、私はこのことを確かめてみることにしました。

 まず、マダガスカルのベレンティ保護区にいる26頭のワオキツネザルに、2つの場面について1回ずつプレイバック実験を行いました。2つの場面とは、ワオキツネザルが樹上にいるときと、地上にいるときです。具体的な実験方法は以下のようなものです。サルの後ろの茂みにスピーカーを置きまして、そこから録音した警戒音を流します。するとそのサルは、後ろの方で誰か他個体がないていると勘違いして、何らかの反応をしてしまいます。そして、その反応を記録するのです。その結果、空を見上げるという反応が見られたのは、対猛禽類の警戒音に対してのみで、対肉食獣の警戒音に対しては、空を見上げるという反応は全然見られませんでした。一方、地上にいるワオキツネザルが樹上にかけ上がるという反応が見られたのは、ほとんどの場合、対肉食獣の警戒音を聞かせたときでして、対猛禽類の警戒音を聞かせたときには、ほとんどそういった反応はでませんでした。つまりそれぞれの警戒音に対して反応が全然違っていたのです。ワオキツネザルが樹上にいるときは、空を見上げるという反応と、木の上の方へ駆け上がるという反応を調べたのですけれど、こちらの方も同様でした。このように実験の結果から、ワオキツネザルは、2種類の警戒音というものを捕食者に対応させて使っているということが分かりました。ワオキツネザルの警戒音は、捕食者という外部のものに対しての何らかの情報を伝えているわけです。この実験を行ったベレンティ保護区には、ワオキツネザル以外にベローシファカという原猿がいて、彼らもまた2種類の警戒音を持っています。これらもそれぞれ猛禽類と肉食獣に対応しています。対猛禽類の警戒音は、「ブゥー」というエンジンのうなり声のようなすごい音です。そして、対肉食獣の警戒音は「シフアックシフアック」という音です。ちなみにシファカという名前は、この警戒音からとられたそうです。ここで私は、自分の種の2種類の警戒音を聞き分けて反応しているワオキツネザルは、シファカの方の2種類の警戒音もやはり聞き分けて反応しているのではないだろうかということを考えまして、前述のワオキツネザルに、今度はベローシファカの警戒音をプレイバックしたのです。その結果、ベローシファカの警戒音をプレイバックしても、やはりワオキツネザルは、警戒音にあわせて違った反応をしました。すなわち、ワオキツネザルは自種の警戒音だけではなくて、ベローシファカの警戒音が意味するところも理解して、反応しているのではないかと考えられるのです。では、逆はどうかと考えました。ベローシファカはワオキツネザルの音声を聞き分けているのかどうかということです。シファカの場合、群れのサイズが小さくて個体数を集めるのが難しく、11個体に対してしかプレイバック実験ができませんでした。そのため統計的にははっきりしない結果になったのですけれど、結果を見る限りでは、ベローシファカの方も、ワオキツネザルの警戒音をある程度聞き分けているといえるでしょう。

 次に考えたことは、こういった他種の警戒音を聞き分ける能力をどうやって身につけたのかということでした。それを調べるため、静岡県伊東市の伊豆シャボテン公園で飼育されているワオキツネザルに同じ実験を行いました。彼らは生まれてから1度もベローシファカを見たことがありません。まず、彼らにベレンティ保護区のワオキツネザルの警戒音をプレイバックしてやりました。すると、ベレンティ保護区の個体と同じように、正しく分化した反応をしました。次に、見たことも聞いたこともないベローシファカの警戒音を聞かせると、どちらの警戒音に対しても、空を見上げるという反応がでてしまうし、樹上にかけ上がるという反応はほとんどでませんでした。つまり、ベローシファカの警戒音が聞き分けられなかったのです。というわけで、他種の警戒音を聞き分ける能力は学習によるのではないかということが考えられます。こういう外界の事物と音声の結びつきというのは、警戒音に限るものではありません。たとえば、けんかの時にアカゲザルがあげる悲鳴があります。いくつかの種類に分かれるこの悲鳴がそれぞれ何を意味しているかといいますと、自分のけんかの相手、けんかの質、身体接触があるのかないのかといったことなのです。こういったことを他の仲間に知らせているのです。

 さてここまでが、随意的にコントロール可能になった何らかの音声によって、外界の物事をある程度表せるようになった第2段階についてでした。そして次の段階として、発し手の方が、自分の信号が受け手にどういうふうに解釈されているか理解して、意図的にその信号を操作し、伝達をするというのが考えられます。これはヒトの会話が典型的な例となります。
たとえば、
発話者A「おそいねえ。」
発話者B「もう帰ろうか。」
というような会話があったとします。このような会話は日常よく行われていまして、我々は別に不自然を感じません。しかし、言葉というものを単なる外界の事象と音の結びつきととらえると、こういった会話はほとんど意味不明なものとなるのです。字面だけ見てみますと、発話者Aと発話者Bの会話は全くかみ合っていません。すなわちヒトの会話においては、発話者の発している音が何を意味しているのかだけではなく、発話者が何を言おうとしているのかを考えなくてはいけないのです。このような考え方はグライスの語用論から始まり、スペルベルとウィルソンによって関連性理論という形で厳密にまとめられていますが、ヒト以外の霊長類ではどうでしょうか。他個体の意図を理解して信号のやりとりをするというのがヒトの会話、ヒトの言語の特徴なのですが、そもそもヒト以外の霊長類はそういうことがどこまでできるのでしょうか。これを研究する方法としては大きく分けて2つあります。一つは、心理学の分野でよく使われている「誤った信念課題」を使う方法です。もう一つは、フィールド研究の方でよく使われていることですが、いろいろな社会交渉におけるだましやごまかしの例を調べるという方法です。相手を意図的にだましたりごまかしたりするときには、相手の心の状態を推測するという能力が必要になるからです。

 「誤った信念課題」を調べる方法について少し説明します。たとえば、以下のような質問を尋ねるのです。部屋の中にかごと箱の2つがある。まずA子さんが入ってきて人形で遊んだあと、人形をかごに入れて部屋を出ていった。次にB子さんがこの部屋に入ってきて、かごから人形を取り出して遊んで、今度は箱に入れて出ていった。そして、再びA子さんがこの部屋に戻ってきた。A子さんはかごと箱のどちらを探すか。ヒトに対してこれをやりますと、3才ぐらいの子供だと全員がかごと答えるのですけれど、3歳以下の子供だと、実際に人形が入っているのは箱の方ですから、箱の方と答えてしまう人が多いそうです。要するに、A子さんの視点に立って物事を考えられるかどうかを調べる質問なのですけれど、同じような課題をヒト以外の霊長類に対して行いますと―彼らはヒトが理解できる言語をそもそも持っていませんから、より単純な形で調べるわけですけれど―比較的知能の高いチンパンジーでさえ、「誤った信念課題」をなかなかパスしないということが言われています。一方、フィールドでのだまし、ごまかしの例は多くあげられています。たとえば、マントヒヒのメスは、若いオスがリーダーオスの死角になるような位置にくるようにして、彼と浮気をしたという有名な話があります。このことから、社会的な場面でヒト以外の霊長類はだまし、ごまかしをするものの、厳密な実験的な方法では、「誤った信念課題」をパスできないので、彼らが相手の意図の理解をしているということは今では疑わしいとされています。

 結論としましては、音声による対象の指示能力というのは非常に原始的な形でありますけれど、ヒト以外の霊長類にも存在しています。しかしながら意図の理解能力というのはヒトに比べるとかなり劣っているということです。そしてヒトの系統において意図の理解能力が発達し、この2つが人類進化のある段階で結びついた結果、ヒトの言語というものが進化する素地みたいなものができあがったのではないでしょうか。今回は時間が無くてお話できませんが、さらにもうひとつの要素としてジェスチャーに代表される「からだ」的な要素がそこに関わってくるのではないかと私は考えています。




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