会話の構造と参与者の認知-----あるいはSF「観察者の鏡」----
菅原和孝(京都大学総合人間学部)



 非常に大まかな話を思考実験のスタイルをかりてしてみたいと思います。副題のSF「観察者の鏡」というのは、そういう題のSFがあるんですけれど―私はまだ読んでいませんが―この発表にぴったりだと思い借用させていただきました。

 最初に、人類とは全く違う方法でコミュニケートする宇宙人が、ホモ・エレクトス(原人)を観察しているとします。これは徹底的に外部からの観測であって、この段階で宇宙人は彼らの音声言語を全く知りません。男と女が何か音声を発しあった後、男が遠距離をロコモートして、たとえばサイチョウのメスとそのヒナを捕獲したとします。宇宙人はこの行為のシークェンスを正確に観察できますが、しかし、そこにいかなる意味のあるつながりがあるかを把握することはできません。すこし抽象化していえば、宇宙人はこの原人の男が生きている内的な時間を把握しえません。内的な時間とは、ある行為をなしているとき、その先の状態を見越しているような主体のありかた、あるいは、その前の状態を想起しているようなありかたと考えます。

 ところで、宇宙人は、最初の男女の音声の発し合いを微視的に分析することができます。すると、それはあるパターンを示すことがわかりました。「交替」を発見したのです。このパターンは非常に顕著なものでして、単なる偶発事とは考えられませんでした。

 やがて宇宙人は原人達が音声言語というものによって、相手の知らないことを伝える能力を持っていることを発見しました。そこで初めて、カレは女が男にサイチョウの巣の場所を告げて、男はその情報に従って巣を発見したのだという可能性に思い当たったのです。これ以降、音声言語を発することを「話す」と表記します。原人の男は女と話し終わったときに、すでにサイチョウを捕獲するという行為へ向けて予測を投射していたわけです。ゆえに彼は内的な時間を生きていたのであって、宇宙人はそれを理解することによって、原人の相互行為内部へ一歩近づいたわけです。

 さらにカレは次のような推理をします。この生物、つまり原人は、頭部の横についた一対の感覚器官で音波を捕捉している。音波の物理的な性質として、互いに干渉しあうということがありますから、情報を正確に捉えるには、相手が話しているときに自分が話さない方が有利です。ですから、この話すことが交替するというパターンには適応的な意義があります。もちろん、この原人の場合には、話すことが圧倒的に大きな生存上の意義を持っていることはいうまでもありません。

 ここで50万年くらいが経過しました。宇宙人は、アメリカ人とか日本人とかブッシュマンとかいった、この惑星上で遠く離れた場所に住んでいる、異なったいくつかのホモ・サピエンスの集団を観察しました。ここでカレがまず問題にしたことは、話すことを交替するというインタラクションのパターンに、もちろん大きな適応価が存在することは推察できるとしても、なぜこの生物はそんな微妙なことをうまくやっていけるのだろうかということでありました。ここでもカレはまず、外部的な観察方法をとることに徹しました。自らをグイと自称する人類において、2者の話の相互行為―それをこれ以降「会話」と呼びますが―その事例を1つ観察しました。ここでカレが特に注意を払ったのは、話における音の高低の変化、すなわちプロソディーと、音声の流れに生じるとぎれ、すなわち沈黙でありました。沈黙には長短様々ありますが、とりあえずはこれらのインデックスを手がかりにして、カレは「韻律ユニット」という単位を定義しました。平たくいえば、それはカレが会話を文字に書き記した際に、ごく直観的に句読点を入れてしまいたくなるような区切りであります。

 各個体の韻律ユニットの終結部分で一体何がおこったのかをカレは調べ上げたのです。すると顕著な規則性が見いだされました。それは「エヘーイ」、「ンー」、「アイー」といった単純な音声がほぼ必ずこのユニットの終結直後に、相手個体から発せられたということでした。このことは、相手個体がユニットの終結をかなり正確に知覚していることを示唆します。さらにこれらの音声が発せられた後に、それまで話していた個体が、さらに新しい韻律ユニットを続ける頻度が非常に高かったのです。同様にして、カレすなわち宇宙人は、日本人と称せられる集団においても「うん」という音声に同様の性質を発見しました。つまり、これが相づちの「うん」という音です。

 さすがに50万年も人類を観察していると宇宙人は、彼らの音声言語に明瞭な分節単位があることに気付きました。それらがどうやってつながっているかを究明するために、カレは隣接する発話に注目しました。すると同一の要素が連続して発せられる場合、あるいはその同一の要素がまったく同時に発せられる場合がしばしばあることに気づきました。すなわちそれぞれ、「復唱」、「唱和」という現象です。しかし、圧倒的多数の事例で、隣接する2個体間の音声の分節単位というのは、全く似てもにつかない要素によって成り立っていました。それゆえ人類の発話の連鎖には、同型の要素の単なるコピーとは異なった原理が働いていると推測されました。しかしながらここまでくると、外部からの観察というのは、にっちもさっちもいかなくなってしまいしました。

 そこで宇宙人はおそまきながら人類の言語を一生懸命勉強し、英語の論文を読めるようになりました。そして、カレはアメリカ人のハーヴェイ・サックスとその仲間達が話すことの交替について驚くべき観察を行っていることを知りました。彼らはそれを Turn-Taking System という理論にまとめております。このシステムは2つの component 、あるいは部面によって成り立ちます。一つはターン構成ユニットで、もう一つはターン配分の規則です。特にターン構成ユニットの定義というのは、意表をついたものでした。それは、話者が「可能な完結を近い未来に向けて投射すること」なのです。英語でいうと、projection of possible completionといいます。その完結が実現すると、聞き手は自分の方がターンをとるにふさわしい瞬間が訪れたことを自覚します。この時点を「移行適切場(TRP)」といいます。まさにターンとは、小刻みに投射され続ける内的な時間そのものなのです。

 次に配分の規則には、a、b、cという明確な優先順位があります。まず先行話者の発話が、たとえば質問のように相手を次の話者として指定する何らかの性質を備えていれば、指定された方は話す権利と義務を持ちます。それがおこらなければ相手が話し始めてもよい、これを self-selection といいます。しかし、この聞き手の self-selection がおこらなければ、再び先行話者が話し始めてもよいということになります。このとき、ぐるっと最初の状態に戻り、次の移行適切場において再帰的に同じルールが適用されます。

 しかし、完結が常に正確に聞き手によって知覚されるわけではなく、それゆえ移行適切場の周囲でいろんな問題、特に同時発話がおこります。こういった内部の視点に立つならば、ひとつながりの話が交替するという単純なパターンは、可能な完結の投射を表す矢印が、順次交替していくこととして知ることができます。

 ここで宇宙人は、「それにしても一体、可能な完結というものはいかにして同定できるのだろうか」と思いました。「それは純粋に言葉の意味と文法に依存しているのだろうか」と考えました。そしてカレは、韻律ユニットとターン構成ユニットとが非常によく一致していることに思いあたったのです。こうしてカレは第一の重要な結論に達します。それは、会話において、参与者が生きている内的時間は、会話の外的構造、すなわち物理的、身体的な時間構造と一体のものとしてあらわれているということです。そして、会話を観察するということは、内的時間が外部へとめくれだしている様を観察することなのです。

 さらに宇宙人は、様々な言語の意味を正確に把握することができるようになって初めて、それぞれの発話ターンが関連性によって結びつけられていることを発見しました。ここで関連性の正確な定義を与える余裕はありませんが、一言でいえばそれは、その会話が作り出している文脈に対して何らかの効果を持つことです。このようにして、あの単純な交替のパターンが意味空間における小刻みな完結性の投射のもつれ合いとして視覚化できるのです。

 ここで宇宙人は重大な作業仮説を設定します。このような即時反射的な応答性の連鎖こそが、身体的な行為として外部から観察しうる会話の最も基本的な構造であるという仮説です。この仮説に従ってカレは、このような時間的組織化のパターンを「会話の基底構造」と呼びました。2者が互いに対して高い関連性を持って応答しあい、発話連鎖が意味空間のある一定領域内で持続しているとき、その領域をトピックというふうに名づけます。いいかえれば、あるトピックが活性化されている状態では、2者の発話の間の関連性の度合いが振動を繰り返しながらも、ある一定の軸のそばにその振動が限定されているような状態です。

 するとここに奇妙な現象が観察されます。第一に2者が互いに高い関連性を持って発話し続けていても、そのまま発話の連鎖が意味空間の中を徐々にずれていくということがあります。すなわちトピックの連続的な推移です。第二に、発話の連鎖が意味空間の中で突如転移することがあります。すなわちトピックの唐突な転換です。こういったことがいかにしておこるのかというのは、非常に複雑です。

 しかし先へ進む前に、外部から身体的な行為として会話をながめたときに、どのようなパターンの多様性があるかをあらためて検討しておくべきでしょう。ここで宇宙人は、世界の様々な人類集団の会話を比較したとき、サックス達のいうターン配分の規則がそれほどきちんと働いていない例を多数見いだすことになります。

 Turn-Taking System によれば、移行適切場を知覚することはきわめて微妙な作業ですから、その近傍で同時発話がおこってもなんの不思議もありません。しかし、参与者はスムーズな交替を志向しているのだから、調整が行われ同時発話の持続時間は大変短いものになるだろうというのが、Turn-Taking System の予想するところです。

 けれどもグイでは、同時発話が頻繁に生じることが観察されました。それを意味内容とか社会的文脈とつきあわせて検討した結果、つぎのような類型化を行うことができました。つまり、対立的な同時発話、協調的な同時発話、そして並行的な同時発話。並行的な同時発話だけ少し説明しますと、これはある意味領域を緩やかに共有しながらも、両者はてんでバラバラに、自己中心的な連関性とでもいうべきものを追求していることです。このような発話の運動が、完全に発散してしまうか、あるいは、再びどこかで収束に向かうかについては一義的な解は与えられません。

 さて前に示した「会話の基底構造」という仮説は、この基底から他の全てのパターンが派生することを予想するものです。ここで反応の即時性が高い・低い、それから相手の注意が話者に向けられているか・逸らされているかという2つの軸を設定しますと、様々なパターンがこの4つの象限のどこかに配置されます。ここで注目したいのは、いくつもの韻律ユニットが一個体によって連続的に続けられた後、もう一方が同様のことを返すというパターンです。すなわち長いターンが非常に長いタイムスパンで交替するというものです。これを「形式化」と呼びます。さらにこういった交替もおこらずに、聞き手達の注意が逸らされてしまうと、独白調の形というものになるしかありません。

 たとえばトピックが唐突に転換する、そういう多様なプロセスを包括するような一般的な理論といったものを構築することは、たとえ全能の宇宙人であっても非常に難しいことです。しかし、もし、先ほどの重要な結論、すなわち当事者の内的な時間が身体的な行為として外部にめくれだしているという現象として会話をとらえるならば、内的時間が、ターン構成ユニットといった小刻みな投射とは異なる投射を見せることがあります。それは外的な観察からも同定できます。ストーリーテリングをすることがその代表です。参与者に異なる投射を促し、その後のインタラクションの展開を方向づける発話をムーブと呼びます。

 最初の宇宙人の話に戻れば、カレは一体この人類がやっている会話という構造がどんな適応価をもって進化したのか、そういうことまでも明らかにしようと思いました。そこで取り上げなければいけないのはネゴシエーション--交渉というものです。ネゴシエーションの観察から、参与者が長期にわたる見通しをもってふるまっていたことがわかったのです。このように、自己の望ましいゴールを遠方に投射し、そのようなゴールへと相手を押しやるべく、様々なムーブを組織することを戦略と定義します。しかし、そのようなゴールの投射は必ずしも実現されるとは限らないので、永久に記述されないこともあります。

 結論を述べます。会話においては、時として参与者は情報の伝達に成功します。そのような情報はもちろん、参与者に生存上の利益をもたらします。しかしそれだけではありません。会話それ自体が、参与者の適応度に一定の影響を及ぼすことがあります。そのとき、一方の参与者は他方に対して、「発語内的な力」といわれるものをふるっています。戦略とは、このような力を効果的にふるおうとする見通しであり、遠方へのゴールの投射という内的な時間の特別なあり方に他なりません。ゆえに、音声コミュニケーションの進化という理論枠のなかで会話を分析するためには、我々はインタラクションの内部に視点をおいて、参与者の内的な時間性を理解しなければなりません。しかし、それをいかに厳密に追求しても、われわれはインタラクションの内部における外的な観察者でしかありません。実現されなかった戦略を知ることは不可能だからです。しかし、この条件はけっして袋小路ではありません。むしろこの条件があるからこそ、さまざまな偶発事によってインタラクションは予想のつかない方向へ展開する可能性をもっているのです。戦略はつねに偶発性に浸透されています。ゆえに戦略という用語をあたかも「固定的なプログラム」であるかのように使用するのはまちがいではないかと考えます。




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